旅行

じゃくいえむ

今回の旅行は、ほんと色んなことを経験。その一個は言語の壁。

2年前に中国に行ったときも英語通じなくて、笑ってこらえて状態だったけど、今回もそうでした。

今回は電車旅。ウィーンからスロヴァキアの首都ブラチスラバに電車でGO。来たのはよいが、ここは首都?ほんとに?という雰囲気。どこかの地方都市に来たみたいな駅。

ホテルまでどうやって行ったらよいの?駅から全てがスロヴァキア語で、何を聞いたらよいものや・・・地球の歩き方スロヴァキアは中心街しか書いてないし、どうやって駅からホテルに行ったらいいんじゃ!

とりあえず駅の外に出て、バスがあるのはいいものの、全てがスロヴァキア語だからまじで分からん・・・4時なのに外暗くなってくるし、不安な気持ちは募るばかり。

とりあえず「困った。助けてちょ」オーラを周辺にふりまきつつ、地球の歩き方を見ながら、読めもしないバス路線図とにらめっこ。
途中浮浪者らしき人に「金くれ」要求をされつつ、困っていると、救い主が現れました。きたよ、優しいおばちゃんの助けが。スロヴァキア語だ。

「○×△×○?」(どうやら疑問文?)

「(とりあえず)うんうん。いえす、いえす。」

「○×△×○○×△×○○×△×○○×△×○・・・」

「(そんなに話されても一つも分からんが、人間こんなときにはとりあえずうなずいてみる)うんうん」

「○×△×○○×?」(また疑問文?)

「(分からんから)ひあー。でぃす、ほてる」

「○×△×○○×・・・・」(分からんようだ)

「(とりあえず、ホテル周辺の地図があったので見せてみる)」

「○×?△×○?○×・・・・」(分かんないよね・・・)

「!○×△×・・・○○×」(おぉ?方向はなんとなく分かったようだ?)

「○×△2○○×」(番号を指で示された)

「2?」

「○×△×○○×」(分からんが、正しかったことにしよう)

・・・すると、その番号のバスが来た!指さされて、「○×△×○○×!!!!」と言われたので、とにかく乗ろうとしたが、切符を買っていない。

「のー、ちけっと!・・・うぅ~~」(なぜかこういう時だけブロークンのような英語になるのはなぜ)

するとおばちゃん、私らに自分の持ってたチケットを渡してきて、「××△(乗れ!)」というそぶり。

「ありがとう」すら現地語で言えなくて。一生懸命手を振ったけど、何もいえなかった。一生懸命さんきゅーって言ったけど、聞こえたかな。

かなり後悔した瞬間でした。バスの方向はあってて、しばらくするとホテルが見えてきてホッと安心したのはいいけど、やっぱりおばちゃんの優しさを思うと申し訳なく思った瞬間でした。

じゃくぃえむ、もう忘れないよ。

今もスロヴァキアのどこかにいるんだろうね。自分の人生で、2度とおばちゃんとは会わないでしょう。自分の人生で、数分しか交差しなかった瞬間だったけど、忘れません。

じゃくぃえむ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Sydney-3

シドニー2日目夜です!
ここからは自分の学校生活をたどる旅でした。
2日目の夜には、日本人学校時代から家族ぐるみで仲良くしていたPeardファミリーと15年ぶりの再会・・・・感動的でした。正確には、Peard家の一番上のお姉さんが日本人と結婚して日本にいるので、お父さんお母さんとは1年ぶりくらいなのですが、私の同い年のインターの友達Reneeとは本当に15年ぶり。お互い緊張していたのが手に取るように分かる!私はあまり変わらないけど、さすがオーストラリア人。とっても美しい女性達になっていて、アジア人の幼さを感じました。

"Tomoko! You haven't changed!"って言われる始末。でもいいんです。そう言い合える仲のままでよかった。
やっぱり、同じ年代の女の子ですね。Girl's talkに花が咲いて、あっという間に時間が過ぎました。彼女達の家のリビング、キッチン、プール、お庭、全てが変わらない造りで、こんな当たり前のことに感動しました。昔はお庭でReneeとトランポリンをして遊んだり、プールの中でMarco Poloという遊びをしたり、彼女が喘息で苦しんでるときに背中をさすってあげたりしたことを思い出しました。日本にいると本当に考えなかったような些細なことが、どんどん思い出されてきています。

人間って不思議で奇跡的な生き物だと思います。
色々生物学的な角度からの切り込みの説明はあるんだろうけど、脳ってすごい。五感で感じるものを、全て記憶と結びつけて、15年以上前の心のタイムカプセルを開けてくれる。記憶って、感じるものだと思う。不思議な言い方かもしれないけど、記憶のストレージは五感と心と直接リンクしていて、どこかが刺激されることで、想像以上の強いドライブがかかって鮮明にそのとき過ごした時間を呼び起こしてくれる。
それって、すごい。
関係ないけど、この感覚を言葉というツールを通して自分が周囲に伝えられることも、幸せなことだと思う。人間に与えられた宝物です。

3日目:日本人学校に行きました!
すっかり変わってしまった旧校舎。バス停の真ん中にあった木はなく、昔朝練をした第1グラウンドはさびしげな感じでした。やや折れ曲がった鉄棒とバスケットコート、さびれたテニスコートと、平均台がそのままになったアセンブリホール、壁から外された1985年卒の方々の卒業制作。15年の時の流れを感じさせるものです。タックショップや、旧図工室、職員室、旧図書館、2・3年生のときのクラスの建物は全て消えていました。昔のものがないというのは、やはりさびしいものです。
でも、私が通った1986年以前にも、それ以降も、この場所で多くの人が学校に通い、色々な人生経験を積んで、この世界のどこかにいる。決して出会うことのない人だけれど、この学校で、この廃墟のようになった旧校舎で多くの人が私と同じ制服で同じ学校生活を送って。物理的になくなったものはあれ、同じ景色や映像を思い出せる人は世界中にいる。これが人間の素晴らしさですね。

会うこともない世界のどこかに今まさに生きている人々を想像する、私のクセです。私のことを知る人はこの学校には誰一人残っていないけれど、自分のスタート地点を作ったこの学校は特別です。

帰りがけに Waratah Parkに寄ってみました。スペルあってるかなぁ。これは外国人用には観光化していない、田舎ののんびりした動物園です。日本人学校の先にあるので、よりました。あいにく見学ツアーの時間があわないのと、夕方にならないと動物達がのそのそ出てこないということで、見ませんでしたが、この動物園がまだ存続していることが嬉しいです。
次回シドニーを訪れたときは行きたいな。

3日目は昼はチャッツウッドで食べて、夜はハーバー沿いのシーフードで北京ダックを食べました。チャイニーズはかかせない・・・

最後の日は、のんびりしていました。朝はオペラハウスとボタニックガーデンをお散歩して、昼はロックスという昔のイギリス風の建物が残る場所を見て、ランチは公園の芝生で座ってサンドイッチを食べました。近くにはビジネスマンがいたり、遠足の子供達がいました。歴史的な場所ということもあり、現地校の頃からよく遠足で来た場所なので、子供達の集団を見るとなんだか懐かしいですね。ちなみに、シドニーは公立でも小学校から制服があります。そういう意味では、私は公立に行きながら、小学校の頃から制服を着るのが普通の感じでした。なぜか高校が私服でしたが・・・

こうして、私の家族のシドニー時代をたどる旅は終わりました。やっぱり、私は幸せです。昔も、今も、シドニーが私の原点です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Sydney-2

あっという間の数日間・・・
シドニーから戻ってきました。

1日目:空港の中が変わってたので、初めて来た国のように思い、最初は不安が膨らみました。でも、お父さんが空港で迎えてくれて(赴任先の中国から合流。私たちより先に着いてました。)少し安心。タクシーに乗り込み、シティーにあるホテルへ直行。シティーまでの道を見ていても、全く記憶がないので悲しい気分になってました。(もともと、私はシティより北のノースシドニーに住んでいたので、シティは大人の街という感じで、記憶が薄いのも仕方ないのですが・・・)
ちょっとへこみつつ、ホテルへチェックイン。
部屋からハーバーブリッジが見えて、ようやく「シドニーに来たんだ・・・!」という実感が少しずつ湧いてきました。
ホテルは、Circular Quayというシドニーハーバーの目の前を所をとっていたので、1日目は観光チックに、ハーバーブリッジを見つつ、オペラハウスを回って、ボタニックガーデン(庭園。でも公園になってる感じ)を歩いてみました。いわゆる観光地だけあって、色んな国の人がいました。
最初は「観光地だからなぁ・・」と思っていたけれど、やっぱり6年間もいた場所だけに、色々なことを思い出しました。
不思議なもので、現地のにおい、港に吹く風を感じると、15年ぶりのはずがずっとこの街に住んできたような感覚がよみがえってきました。
現地校時代にハーバーブリッジを歩いて渡った思い出や、家族で行ったクルージング、まだ英語も話せない頃に現地校の遠足で訪れたボタニックガーデンもなどなど、日本で思い出さなかった1つ1つのことが思い出されました。
これが、友達の言ってくれていたことだったんだ・・・今までの不安がすっと消え去った瞬間でした。

1日目だし、家族も一緒なのでとりあえずのんびりモードで。夜はチャイナタウンでご飯を食べて、OZビールで乾杯!2日目を楽しみに寝る私でした・・・

2日目~3日目は15年間の空間を埋める2日間となりました。
レンタカーを借りて、真っ先にノースシドニーへ。ハーバーブリッジを渡った後から、両親が「あぁ、ここをこう曲がって、こう行くとNorthbridgeで、その先がCastle Crag、それからすぐEast Rosevilleだ!」と運転しながら記憶がよみがえってくるのを喜んでいました。私の記憶もふぁ~っとよみがえってきて、車の中で家族でわいわい騒いでしまいました。
昔から家族で乗るときには右後ろにすわってましたが、今回もその位置から風景を見てました。何も変わっていない。ただただそれが嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうな瞬間です。15年間なんて離れていなかったように、全く変わらない店、道、風景。緑の美しさ、オレンジ色のレンガの家々、真っ赤なBottle Brushの花、ユーカリの白い木。何も変わっていない。
自分がシドニーで過ごした記憶は、確かに私の中にありました。

まずは毎週土曜日に買出しに行っていたNorthbridge Plazaをまわり、懐かしの食品を見て騒ぐ私と姉。白ワイン Rieslingを箱で買って、夜飲むことに。
その後は・・・昔の家の付近へ!まずは1~2年生の時に通ったCastle Cove Public Schoolへ、そしてその近くの商店街を回り、自宅のある22 Malga Avenueへドライブ。この辺は私が運転をしました。自分が15年後に運転してこの付近を回るなんて、小学生の私は想像もしていなかった。不思議。
しばらく家の周辺を散歩して、6年間の記憶をたどりました。ここで何も考えずに住んでいたんだ・・・
本当に幸せだった・・・。自分の子供もこういう環境で育てられたら幸せだろうな・・・とつくづく思う私です。

この後は、いつも行っていたChatswoodのfood courtで昼食を取って、ホテルへ戻りました。

そして、今日の第2イベントへ!昔から家族ぐるみで仲良くしていた Peard Familyに夕方会いました。日本人学校のインタークラスにいた友達 Reneeの家族で、シドニー2年目からずっと仲良くしていた子です。でも、この子と会うのも15年ぶり。緊張と、何を話そう・・・・とちょっと怖くなってました。
長くなってしまったので、Peard's家との夕食会についてはまた明日以降のブログで・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Sydney-1

シドニー、私の小学校6年間全てが詰まった町です。感慨深いな。信じられない。
今回の旅は、たまたま仕事がキャンセルになって3連休挟んで大きく休めそうだったので8月に突然プランした家族旅行です。
もともとお母さんに何かしてあげたくて(とっても素敵ないいお母さんなので・・・)、それで発案した豪州旅行。そしたらお姉ちゃんもお父さん(@中国)も参加することになり、家族旅行になりました。

正直、自分がシドニーに住んでいたことなんて夢の世界で、現実はずっと日本にいたんじゃないかと思うことがあります。私のオーストラリア訛りはアメリカ英語に吸収され(ボストン留学で変わってしまった・・・)、思い出はあるようで忘れていることもたくさんあります。そんな自分をシドニーは受け止めてくれて、自分も童心にかえることができるのか、不安になってました。

でも、昨日、友達の言葉にすごく勇気をもらいました。昨日はちょうど日本人学校の友達と飲んていて、彼が学会でシドニーに行ったときに撮った写真を見せてくれました。きれいなWattlt Tree、すっかり変貌した日本人学校、小さな私が確かに存在した旧校舎、4年生のときに出来た新体育館と新校舎、がらんとしてしまった第1グラウンド・・・私の「シドニーの思い出、結構忘れてしまった」という不安に、彼は「シドニーに行けば、自分の中で自然と思い出すものがあるよ。すごくささいなことでも、ふっとよみがえってくるんだよ」と言っていました。本当にそうかもしれません。そんな感覚があります。彼の見せてくれた「体育館の棒」ですら、あのときの体育の時間と、あのときに流れていた空気を思い出させてくれるようでした。私のどこかに、ちゃんと昔の記憶と感覚が刻み込まれていて、それがシドニーの風景と共鳴してくれる。そんな感覚です。本当に大切なものを思い出させてくれました。

やっぱり、私は「幸せ」だった。家族、友人、環境、海外生活・・・今の自分を形成しているもの全ては、シドニーから始まったといってもいいと思います。家族がほぼ毎日一緒にいて、家族でたくさんの思い出を作りました。お父さんが庭で芝をかる音、お母さんが夕飯のときに鳴らしてくれたベル、レインボーローリーキートが家の前の木の上で鳴く声、クッカバラの笑い、隣の犬ジギーの鳴き声、そのときの全ての映像が宝物です。純粋な幸せの中にいた、周囲に愛されて、守ってもらっていたあの頃・・・かけがえのない時間を幼少期シドニーで過ごしました。

明日、15年ぶりに、シドニーに帰る。その事実が信じられないけれど、大切な宝箱を開けに、明日シドニーに帰ります。12日にはもう帰国するけれど、それまでの時間の一分一秒を大事にしてきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)