自然・空・地球

ぱぁっ!と、両手の花が開くように

090616_230203 なんとも愛嬌のある子に育ってきました!

ドイツにいる双子ちゃんも元気かな。あっちは成長がちょっぴり遅いみたいだけど、でも頑張って地中に、天に、一生懸命伸びようとしているのだろう!

両手を開いてるみたいで、なんか擬人化したくなる。こうやって写真でみると、吹き出しに台詞とか書きたくなる。フラワーロックみたいに躍りだしそう。(今の子は知ってるんだろうか・・・)

この子が変化して成長していることが、自分の変化も呼び起こしてくれているような気がする。ココロの芽がぽんっと咲いたような感じがしている。

エネルギーが内向きに流れこんでいる気がするけど、なんかうまく行きそうな予感・・・!

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もう少し、もう少し考えをまとめて、そしてここに出そう。

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むくむく・・・にょきにょき

自分が止まっているようでも、時は流れている。自然は自分と関係なく、おのずからたくましく生命を全うしようとしている。

植物が育つ。芽が出る。土がむくむくと隆起する。

今家にあるもので、おのずから生きて変化しようとするものは、ほとんどない。切り花の蕾くらいなものだった。

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むくむく・・・

今まで「自分」を閉じ込めていた雲がさーっと晴れていくよう。

いなばさんからもらったplantに芽が出た。この植物は、缶の中に入っていて、開けてから5~7日で芽が出るというもの。la stradaさんと一緒に、ドイツ時間と日本時間で一緒にいっせーの、で缶を開けた。

先週の土曜日の夜遅くに開けて、木曜日の夜遅くに芽が出てた。ちょうど5日。

自然界の現象をみると、はっとすることは確かに多い。自分と関係なく息づいている世界があることを改めて感じることで、今の自分の存在のちっぽけなことを感じる。

でも、今回の気持ちはまた新しい。

普通に自分が生活をしている半径1メートル以内で変化があった。すごい。

自分の中にサーッと空気が流れ込んできたよう。

それ以来、ついつい見てしまう。

「元気ー?」

近くにいってじろじろ見てしまう。

「まだまだ伸びるの?」

固定された物体としてのオブジェではない。生きるも死ぬも、ある程度相手任せの生き物がそこにある。私には、この子がどうやって成長するのか分からない。どのくらい大きくなるのかも、どんな色に変化するのかも。

金曜日は、土から出てきた。

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にょきにょき・・・

土曜日は天に向かっていた。背筋を伸ばして、まっすぐに!

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ぴん!

すごい単純なことだけど、もっと単純に思考をもっていけばいいのか。

やってないなら、やればいい。

できないなら、やりたいのかもう一度問えばいい。

やりたいなら、やればいい。

やりたくないなら、やめればいい。

やらざるを得ないなら、もう少しだけやってみればいい。

それでもダメなら、もう一回止まればいい。

悩むなら、悩めばいい。

理想と違うなら、止まって現実を見ればいい。

厳しい現実があるなら、理想を失わずに、まっすぐに見ればいい。

そういった意識に自分が向かえたのも、本当に素晴らしい方々に出会えたから。

今週はエネルギーをみんなからもらっている。

そういえば火曜日はアメリカにいる大好きな友達と、久しぶりにスカイプで話ができた。自分にいつも笑顔をくれるし、大学時代から自分の笑顔が好きだと言ってくれる数少ない人。本当に大事な友人。本当にありがとう。新天地でもますます活躍するんだよ!

私も背筋をまっすぐ伸ばしていこう。

さて、そろそろ植物くんに名前をつけよう。

ほんと、 You made my day!

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竹取物語

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昨日仕事でアメリカ人のライターの人と話をしていたら、彼の昔書いた雑誌の記事で、面白いものを見せてもらった。

テーマは「竹」について。

氏は尺八を習っていたこともある日本好きの人だけれど、彼が日本に来て最初に素晴らしいと思ったものに「鯉」と「竹」があったらしい。

日本人にとっては、どっちも普通のもの。おじいちゃん宅にいけばあるかな、みたいなものであり、今は東京では見られないけど特別すごい感じはしない。

彼は「竹」自体の魅力もさることながら、日本人が「竹」という自然に育つ植物と共存して、合わせて生きてきたことに感動していた。

「竹」の持つ、背の高さ、生育の早さ、中の空洞、密集して育つ様・・・それらの特徴を生かし、理解した上で、上手に「竹」を愛し、育み、食し、日本人は育ってきた。

暑い日には日陰に、

空洞をくりぬいて楽器に、

空洞から姫が生まれる物語に、

ゆでておいしい食べ物に、

尺八を、Bamboo Flute っていうのも、美しさがまた際立つ。

こういう逆の視点、外から見た日本の美しさを聞くのは本当に感動する。特に丁寧に物事を考えて、捉えようとしている人と出会うとすごく感動する。

ちなみに、竹関連で、日経BPにこんな記事も発見。

「日本古来のエコ素材 『竹』が世界を変える!」

竹再発見!

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桜から新緑へ

桜が散っている。国全体で、これほど一つの花が咲くのを待ちわびる民族はいないんだろうなぁ・・・と思いながら、桜が散っていく姿を見る。

美しさは変わらない。ただ、ピンクが少しずつ新緑に変わっていくだけ。

緑に変わった途端、道ゆく人々がその木々に関心を向けることはほとんどなくなってしまうけれど、でも、そこに確かに桜はあって、たくましく、美しく、緑の葉をつける。

このページも、桜から新緑に移りゆく。

「花は散っても、桜の木であることは変わらないよ。」

四ツ谷の桜くん達に、そう呼びかけられた気がして。

そだね。変わらないね。

私も、変わらないかな。

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桜開花!

はい、変えました。デザイン変更。やっぱり春だし、私の性格を表していると思うんですが、季節感を持つのが好きですね。そして着せ替え。

リカちゃんでもバービーでも、クリーミーマミでも、ガンダムでもいいんですが、昔から着せ替えが好きです。(ガンダムは着せ替えてはいないか・・・ビックリマンは進化系?ヘッドロココとか進化してたよね?脱線。)

これまでは「宇宙」というデザインでした。大好きな空の向こうの、奥の奥の奥にある肉眼では見えない世界で、絶えず変化する宇宙に想いを馳せて・・・

そして、その「宇宙」への想いは変わらないけれど、せっかく春なので、このブログも着せ替え!「桜」を登場させました。たぶんこれからも季節に応じて年に何回か脱皮するでしょう。そのたびに、たぶん「宇宙」にも戻ると思います。

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火曜日に友人YKさんと一緒に見た上野公園の桜です。ソメイヨシノはまだ早かったけど、シダレザクラかな?空とのコントラストがとても素敵だったので、早く、特に海外組みに見せたくなりました

桜が冠みたいで、好きなショットです。(クリックして拡大してみると、かなりキレイです!おススメ!)

うちの大学の近くにある、土手の桜も有名で、毎年きれいなのだけれど、 ↓は去年の3月末の写真です。

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これはソメイヨシノ。3/29時点で、去年は満開でした。

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空とのコントラストが大好き・・・

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空をちょっとメインにして、大空を羽ばたく桜の枝たち、のイメージです

とにかく毎年、空と桜のコントラストの美しさを撮りたくて、素人ながら普通の携帯カメラやデジカメで撮ってます。あー、一眼レフとかShin.Kさんのようにやったら素敵なんだと思うのだけど・・・でも見ているのも好きなのでそれはそれでよしとしよう。

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『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』

(この世の中に桜というものがなかったなら、春になっても、咲くのを待ちどおしがったり、散るのを惜しんだりすることもなく、春はのどかな気持ちでいられるだろうに)

『伊勢物語』の在原業平の歌ですが、(竹内整一氏の「はかなさと日本人」にも確か出てきていたけど)、日本人ってやっぱり桜を見たときに、視覚的に訴えるものもあるでしょうが、その桜という存在を通して、心を動かしているんでしょうね。もうそれこそ古来から受け継いできたDNAレベルで細胞がざわめいてる感じ。

やっぱり自然を通して、霊的というか、古来から常に発信されている神聖なるメッセージを受け取っている気がします。日本人はそのメッセージを、桜から、山から、森から、あらゆる自然から、存在しうるものから受け取るアンテナが備わっているような気がします。もちろん、他の民族もあるだろうけど、なんだろうね、そういったものに耳を傾けてきた民族、見えない神聖なものに価値を置いてきた民族であれば、かな。

在原業平の歌を読むと、余計に「あ~、それだけに、より一層桜が桜であることを求めてしまうのよネ」的な気持ちになってしまう。無常観を感じる歌ではあるけれど、それは四季の変化を愛おしく感じる心が捨てきれないからこそ、だと思うし、その気持ち、共感するな~ 外国人だと、特に桜を見て、「オー、ビューティフー」で終わるんじゃなかろうか(偏見ありません)。

もう1100年くらい前の歌なのに、共感できるって、ちょっとすごい・・・(いまさら)。万葉集とかも桜を詠んだ歌が多いし、ちょっと過去にタイムスリップしてきたい気持ちですね。

とりあえず出張から戻ったら、色々調べよう。わくわく。

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月曜散歩

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たぶん今は発信⇔受信モードが強い時期の様子。とりあえず周囲にアンテナを広げて、歩くのが気持ちいい!今日はお天気もいいし、空もきれいで、ほんと何もかもが色々なことを発信してくれている。

ふと見た雑草も、シドニー時代にうちの庭sで、父親とひたすら草むしりをした映像までよみがえる。

今日、大学の近くの土手で撮った、桜の木と空の写真。去年の3月末に、親友2人とほぼ同じ角度で桜と空を見上げた。大学時代は一緒にタイ~マレーシア~シンガポールに貧乏旅行に行った大事な友人達。タイの電車の中では誰もいないことをいいことに、一緒に荷物かごの上に乗ってみたり(頭上にある網の上)、線路の真ん中で手を広げたり、寝てみたり。かなり危険な子供みたいなアホなことやって楽しんでいたね。私がボストンに留学すれば来てくれたし、1人がペンシルバニアに留学すれば、遊びに行ったし、京都も栃木も一緒に色々行きました。

そして、1人はこの5月からペルーに駐在。もう1人はベースを京都に移して数年が経つ。去年に3人で来られて良かった。1年前を振り返って、心が温かくなる。じんわり・・・温かいお湯が流れていくような、そんな感じ。

桜の木には蕾がたくさんあった。たぶん後2週間で咲くんだろうな、いつもの美しい四ツ谷の桜!いつものように、やわらかい桜の花を咲かせて、みんなの心を包んでほしいな。

大学では久しぶりに1号館に入ってみた。中が新しくなっていて、外側の景観と中の新しさがアンバランス。でもそれがいいのかもしれない。外側は変わらない。私がいたころ、そしてうちの大学が出来たころのレンガづくりの一号館。その外観はそのままに、中は「今」の人たちが過ごしやすい、使いやすい、維持しやすい形になっている。それも一つの形なんだろう。卒業して8年経っても、中の複雑な通路(1号館を通っていると自動的に8号館になって、しかも3と4と9号館もくっついている意味不明な作りだが)も、分かる。

2005年に書いた記事「Sydney-2」の時も感じたけど、

http://tomosophia.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/sydney-2.html

『不思議なもので、現地のにおい、港に吹く風を感じると、15年ぶりのはずがずっとこの街に住んできたような感覚がよみがえってきました。不思議なもので、現地のにおい、港に吹く風を感じると、15年ぶりのはずがずっとこの街に住んできたような感覚がよみがえってくる』

こういう感じににている。目をつぶっても、歩けるかもしれない。そう思って何も考えずに進んだ。そして中庭から9ピロへ。変わらない感覚、私はこの場所にいたんだ。

090316_143445 大学に行く前に、四ツ谷に来ると大抵行ってしまう、オータニの日本庭園をお散歩した。都会の中で、なんとなくボーっと日本を感じられる場所。浜離宮も好きなのだけど、ここも好き。京都とか、もっと優れたお庭は色々あるだろうけど、やっぱり四ツ谷という場所が自分には大事な想いが詰まったところであり、そこにある日本庭園は人工的な香りがしていたとしても、自分には心地よい空間。

今日も鯉はぱくぱくしてるし、庭にかかった橋の朱色は相変わらずはげていた。なんかいいね、こういうの。

私も一緒にぱくぱく。

そんな素敵な1日でした。

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地球

空好きです。

日本にいるとなぜか顔を下に向けて歩いてしまう自分がいて、空との距離を感じて寂しくなります。

空とか地球儀とか海とか。
精神世界とか可能性とか夢とか。
無限の広がりを持つものに惹かれるのかもしれないなー

長期出張ケンタッキーの空、ブタペスト英雄広場の空、ドナウ川にかかる虹。

世界の中にいる自分の存在の小ささを確かめたいのか、そのための世界旅行かもしれません。

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