つながり

「頭の中で必死に考え抜こうとしていること ≠ テンパっていること」

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尊敬するTさんからいただいたメッセージ
何かを深く考えていれば、木の葉が落ちるのを見ても、小説のさりげない一文からも、自分にとっての解を見つけることができます。
皆さんが、仮に私の話したことで、何か感じるところがあったとすれば、それは
日ごろから皆さんが問題意識を持って、いつも、深く、考えている・・・
そして感性のアンテナを自らが立てている・・・
そのアンテナに私の話したことが受信され、気づきのきっかけとなった、ということだと思います。
目まぐるしく変化するビジネス界で、第一線で活躍されているTさんはとても温かく、ユーモアがあって、快活で、堂々としていて、それでいて柔軟だ。


目の前にある小さなことからでも、大きな出来事からでも、同じように「幸せ感」を持つことができるTさん。それでいて新しい挑戦や、新しい機会も、その「日常の楽しみ」と同じように、受け入れることができる。そんなTさんだから、メッセージもとても謙虚・・・というか、見ている世界が違う。大きな大きな世界を、長い長い時間軸を上からひろ~く見渡して、考えを述べてくださる。本当に素晴らしい方だなぁ。


そう、まさにTさんが言うように、日頃から色々なことに問題意識を持ち、アンテナを高く、広く立てていることがないと、日々起きているかけがえのない一瞬の素晴らしさに気づくことができない。穴があくほど頭の中で必死でもがいているときは、不思議とあらゆるものが自分に解を与えてくれる。新聞、小説、カフェの隣に座って雑談をしている人々の会話、クライアントの話、なんでも、自分に気づきを与えてくれる。(ただ、アンテナを持っていたとしても、相手のアンテナに受信されるような「意味のあること」を言語化して伝えてくださるTさんはやはりすごいが。)


一つ、Tさんを見ていて思ったのは、頭の中で必死に考え抜こうとしていることと、テンパっていることは、必ずしも一緒でないのかもしれない。分けて考えて、理想形を頭に描いていると良さそうかも。


Tさんから微塵も感じられない変な焦り。ご家族との時間もとって、仕事もバリバリして、趣味のクラシック・ジャズ鑑賞やらネットサーフィンやら、お買いものやら、色々していて。それでいて常に考えている。そして、焦りがみられない。堂々としている。これこそ、「頭の中で必死に考え抜こうとしているが、テンパっていない姿」だ。あぁ・・・自分は「頭の中で必死に考え抜こうとしていて、かつテンパっていて、周りもそれが分かる」状態になる。あぁ・・・真逆の状態だ。


で、人によっては「自分は自分らしく」というのがあるかもしれないけれど、最近やっと自分で自分を受け入れられた特徴の一つに、「他人の良いところを、真似して、自分なりに取り入れたくなる」というのを、来年はもっとやっていこうかなぁ、などと思っている。だから、Tさんのような境地に達するかどうかは別として、自分なりに、Tさんのその状態をイメージして、そうなれるかどうかは別として、
そういう気持ちでいるように世界を見てみようかと思う。
「頭の中で必死に考え抜こうとしているが、テンパっていない」
これは来年の目標になるかな。

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まとめの前に、私も感謝を・・・

Lv_sky

皆様、31日です。2009年が終わります。

皆様には感謝してもしきれない、2009年でした。30歳という年が大転換を起こしました。人生の、先にある見えない扉を見据えながら、「今ここ」にある人たち、周りにあるものの存在を改めていとおしく感じることができました。

私の人生に沢山の影響を与えてくれたみなさまに、ひたすら感謝感謝感謝。

ありがとうございました!

今年は終わりそうですが、来年との違いは?後数時間ということ?この人間が勝手につけた区切りは不思議なものですが、人々が転生するために必要な区切りなのかもしれません。文章に句読点があるように、一年にも句読点が必要なのかもしれない。

31日、一年は終わりそうでいながらすでに次の年の気を催しています。

徒然草、155段。

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し。

皆様良い年の瀬をお過ごしください!

LOVE HUG! 愛をこめて、みなさんにハグしたいです!

来年も明日から開けますが、どうぞよろしくお願いします。

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To all my dearest friends

We would like to thank you for joining us in celebrating our wedding. From our family to our friends, new and old each of you has touched our lives in some significant way, shaping us as individuals. Thank you for being a part of our lives!

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はっぴーな独身生活最後の夜

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今日は女子会 with さっちん、まっきー、れいちゃん。

私は本当に恵まれていて、素晴らしい「人」に囲まれているとつくづく思う。

まっすぐに前を向いている人たち。

どういう困難の中であれ、後ろへひかない人たち。

周囲からのインプットを自分の中で消化し、取り入れ、自分のクオリティーを磨くために悩み、苦しみ、考えて自分を削る人たち。

そして、自分をfully accept してくれる仲間。

そういう人々が周りにいるだけで、自分は強く、正しくいようと思います。現状見えているものに振り回されて大事なものを見失わないように、前をむいていこう。少なくとも前は向いていよう。

幸せなディナーでした。一生思い出に残る大事な時間です。

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ばいばい、押上。

ようやく引越しが終わった。7年間住んだ街を離れるのはさびしい。1つの場所に7年も定住したのは、人生でここが初めてで、それだけに思い出深い街になった押上。墨田区というなんとも下町な雰囲気も味わい深かったなぁ。

引越しのプロセスは、少なくとも自分にとってはこの7年間を辿るプロセス。仕事を始め、色んな経験をした。人との出会い、別れ、様々なものを見て、触れて、自分の中に取り込んできたことが分かる。

自分なりに一生懸命もがいて、走って、焦ったり、悩んだり、落ち込んだり、怒ったり、笑ったりな過去。それは確かに自分の中に存在してて、色んな感情が蠢いたこのお部屋でした。

今は空っぽのお部屋。しーんとしてる。最初にこのお部屋を見たときがフラッシュバックする。不動産とこのお部屋を見に来て、社会人1年目の私には予算的にちょっと苦しかったけど、でも決めた。

それが7年で、色んなものを取り込んで、物だらけの部屋になった。私が色々経験する分、お部屋も色々詰め込んでった。

そして、今のお部屋は空っぽで、でも今の私はここにいる。

ばいばい、押上。業平橋。

これからまた人生で新たなフェーズに入ります!

『現在は、過去と未来との間に劃した一線である。此の線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。』 森鴎外

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ちなみに、

押上は隅田川から、舟を押して上げる場所だったから押し上げという地名になってるとか、なってないとか。隣の駅は曳舟だから、やっぱり浅草で⇒隅田川渡って⇒押し上げて⇒曳き舟かなー。

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業平の地名の由来は、『伊勢物語』で在原業平の詠んだ歌に由来してます。

隅田川と吾妻橋付近を詠んでるみたい。

「名にしおはば

いざ言問はむ

都鳥

我がおもふ人は

ありやなしやと」

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そして、在原業平の想いを超えた現代では、2012年に完成予定のスカイツリーが建設されています。

下の土台はだいぶ出来てきています。空のお部屋からの眺めでした。

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同世代性×同時代性

同じ時代に、同じ流行のキャラクターで、興奮と感動とトキメキを、それぞれが違う場所でしているこの奇跡。同じ時代に、同じニュースを聞いて、また心を揺さぶられているこの奇跡。そして同い年ではなくても、人生のそれぞれの帯が微妙に重なっている先輩、後輩。それぞれがそれぞれに互いに影響しあってる。

すごいなぁ、素敵だなぁ。最近は特に、「自分が自分であること」は、「他人が自分の周りにいてくれること」なんだなと改めて感じます。

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で、なぜか『ビックリマンシール』。引越し前に掃除してたら出てきた出てきた。というか、なんで東京にまでこの子たちは一緒についてきているのか不明。君たち、イマイチ名前も覚えてないけど(ヤマト神帝とかメジャーどこしかわかんない)、ごめんねー。特に雑魚キャラたち。君たちがいなくては、ヒーローは輝いてみえないのよ。(ただ、今見ると雑魚キャラは結構力入ったアート性を感じるけどね)

友人いなばくんのブログですっかりビックリマントークに熱くなってしまったけど、(彼の創作『オリジナル いなばビックリマン』にも相当関心!)、やっぱりね、なんかいいんだよね、あの時代のものって。子供のころって特別なんだよなー、ほんと。たぶん、高校・大学の頃と違って、なんかもう、無心にそればっかりおっかけて、一日中その話をして、帰っても妄想の世界の中にいる、それがまた楽しい子供時代。

『ビックリマン』って言葉を聞いて、心のときめきを感じる!

あの頃の想いがぶわっとよみがえってくる!(おとこの子目線。笑)

で、それを話したり、ブログ上で思いを交わしたりすると、不思議と昔からみんな知り合いで、一緒にいたんじゃないかな?くらいの気持ちになってくるわけで。

共通した想い、そして今につながる学びみたいなものを話していると、ほんとに自分の人生の大きな部分で一緒にいたような気持ちになります。

『ビックリマン』はもちろん一部でしかないけれど、でも大事な一部なわけで(少なくとも子供の自分には)、それを通って育んできたものは確かに存在していて。そして誰もがそれをもっているわけで。

とりあえず、ぶわっと思ったことを書いておわった。いいねー、アラ30!

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心の震えをありがとう

自分の周りで、どんどん人々が色んな花を咲かせている。突き抜ける感覚をもてるのって、それだけ丁寧に世の中を見て、世の中と向き合い、誠心誠意考え抜いてきたからだろう。そういった人々が周囲にいること。それをwitnessできること自体、奇跡的なんじゃないかなって、そういう人たちを見て、思う。自分にも正直なんだと思う。まっすぐなんだと思う。当たり前にできることじゃない。勇気がとてもいることだ。孤独を通って初めて、世界と向き合えるんだと思う。世界からつかまえられるのだと思う。

美しい存在。そんな素敵な皆さんに、そして皆さんの周りにいる人々に幸せの光が降り注ぎますように。そう、祈りたくなる、そんな穏やかな気持ちでいる。

ミスチルの『花の匂い』で溢れている私です。

『花の匂い』 Mr.Children

『届けたい 届けたい
届くはずのない声だとしても
あなたに届けたい

ありがとう さよなら
言葉では言いつくせないけど
この胸にあふれてる

花の匂いに導かれて
淡い木漏れ日に 手をのばしたら
そのぬくもりに
あなたが手をつないでいてくれてるような気がした

信じたい 信じたい
人の心にある 温かな奇跡を信じたい

信じたい 信じたい
誰の命もまた誰かを 輝かすための光

永遠のさよならをしても
あなたの呼吸が私には聞こえている
別の姿で 同じ微笑みで
あなたはきっとまた 逢いにきてくれる

どんな悲劇に 埋もれた場所にでも
幸せの種は 必ず植わってる
零れた落ちた涙が じょうろ一杯になったら
その種に水を撒こう

人恋しさを メロディーにした
口笛を風が 運んでいったら
遠いどこかで
あなたがその目を細めて聴いている

本当のさよならをしても
温かい呼吸が私には聞こえている
別の姿で 同じ眼差しで
あなたはきっとまた 逢いにきてくれる』

本当のさよならはまだ私たちに来ていないけど、今も人生の先もその先もまた同じ笑顔で逢いたい。

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家族との普通の1日

親が東京に来た。

お姉ちゃんと私は東京にいるので、親を迎えに東京駅に行く。

ホテルに荷物を置いて、そのまましばらくだらーっとする。テレビがついている。一緒に見る。そのまま誰かが昼寝する。うちの家族のお決まりの流れ。

東京にいても、海外にいても、旅行先にいてもほぼ同じ。きれいなホテル自体が好きな母。横で母と一緒にまったり珈琲を飲んで過ごす父。そのゆるい空気感で眠くなる姉妹のうちら。ゆるゆる~っと1、2時間経つ。

それから外に出るも、なんとなくお買い物。食器好きの母はデパートへ。本好きの父は本屋さんへ。うちらはどっちかについていく。

夕飯は早めの18時スタート。九州男児の頑固な父は、とにかく待つのが大嫌い。とにかく注文から早くご飯を出してくれるところじゃないと、イライラが表面に出る。それが出ないように店選びは慎重に、食事が出てくるのが遅いときは姉妹連携で会話でつないで気を紛らわす。今まで衝突回避の失敗と成功の連続の中、色んな微妙な空気を吸ってきた私とお姉ちゃんが学んだ「平穏の作り方」。そして成功すると、ほっと楽しい夕食が終わる。

親をホテルに早めに送って、私たちは帰る。

いたって普通の光景。

これまでも何回も経験した時間。

その普通どおりの、いつもの、どこにいても変わらない「家族」の中にある、私たちの「家族」だけの「普通」、私たちの「家族」だけの「関係」、それが存在していることにとても愛おしさを感じた。何をしていなくてもいい。ただそこにいるだけでいい。ちょっとした「家族」の暗黙のルールはあれど、それは無意識のうちに従っていくもので、特に無理はない。

お父さんが笑う、お父さんが怒る、お父さんが本を読む。

お母さんが笑う、お母さんが悲しむ、お母さんが動きまわる。

お姉ちゃんが笑う、お姉ちゃんが黙る、お姉ちゃんがうたたねする。

私が笑う、私が仲介に入る、私がみんなを観察する。

それぞれに互いに変化する見えない役割のようなものをもって、「家族」として自然に1つになっている。こんな当たり前のことに、何だかとても感動する。今日だけじゃないかも。これまでも、何となく「家族がいる今」を感じては、その瞬間を愛おしく幸せに思っていたかもしれない。

自分は特に父と離れて暮らすことが多かった。それだけに、家族4人でいられる時間は特に大事にしてきたのかもしれない。4人で過ごしたことをはっきりと覚えている時間は、オーストラリアの6年間。後は、父親が海外を単身赴任で渡り歩いて、自分達と一緒にいる時間がほとんどなかった。だからなのか、自分は余計に父親を求めているし、どんなに頑なで、瞬間湯沸かし器並みに怒り出す人であっても、父親が好きだ。(あ、しかもB型。でもそんなB型も自分は好き) 父親がいて、「家族」が一緒にいられる時間を何よりも大事にしたいと思ってきた。また、物理的には一緒にいなくても、「私たちの家族の形」を大事にしたかった。

「私たちの家族の形」=普通に、いつものようであること。

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田口ランディ氏の『パピヨン』を思い出した。

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『パピヨン』は様々なココロのざわめきと深い安堵感を与えてくれる作品だ。

「家族」の関係について書かれていた一節は忘れられないし、今回もなぜかふと思い出した。

『母が死んだ時も、兄が死んだ時も、自分が母や兄の苦しみを分かち合える存在だと気づけなかった。だけど、そうなのだ。どんなに私が自分の家族を嫌っても、呪っても、冷淡で涙すら流すことがなくても、私は彼らの家族であり、その喪失に心を痛めるのは、この世に私しかいない。ただそれだけで、よかったのだ。』

縁起でもない、という人がいるかもしれない。今生きている家族のことを考えているのに、上記のような一節を思い出すなんて。

でも、違う。ここで書かれていることで、自分が解釈したメッセージは、家族の「死」や「喪失」について、ではなくて、家族という当たり前の存在としてのシンプルな関係性を、言語化して表しているように感じた。無理のない、ありのままの、シンプルな関係。ただ、それだけ。でも、それが強烈に自分にメッセージとして訴えかけてくる。

当たり前そうなことかもしれないけれど、本当に大事なんだな。自分には。いつも、それを求めてきたし、それが「それだけで、いいんだ」と。

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10年くらいまでは、いつも親が先に歩いて、私たちが後ろにいた。ここ数年は、私たちが先に歩いて、親が後ろからついてくる。

そんな関係と役割の自然な変化を感じるだけでも、何だか涙が出そうになる。でも幸せな気持ちにもなる。

見えない役割の変化は時間の流れの中で、絶えず変化していくものかもしれないが、私たちの「家族」としての自然な1つとしての在り方は、変わらずそこにある。

あー、家族っていいなぁ。

離れているけど、いつもいつも大好きな私の家族。

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皆様へのありがとう!

このブログを一部の世間に開通(?)するにあたり、多くの人たちから勇気をいただいた。encourage=まさに勇気を中にいれる、後ろから後押ししてくれて、エネルギーをくれる、そういう感じ。「やってごらん!」って、応援しながら支えてくれながら、力をくれた。

自分がここで書いていること、想いや考えは、ある意味で「素」の自分の一部なわけで。「素」を見せることは、ある意味親しくても怖かったり(自分の場合は特に)、親しくなければそれはそれで興味ないだろうしな、と思ってしまったり。でも、「素」であること、色んな自分も自分であれ!と、様々なエネルギーをいただいてきた。

そして、開通してから、大事な人たちからメールをもらった。コメントのあるなしではなくて、自分へメッセージをくれている、そこに「素」の自分がいることを喜んでくれる人がいて、また支えてくれる人がいて。シンクロして、海外から自分のことをちょうど思い出していてくれた人もいて。今私がいるこの場所から、東京、日本、海外に「自分」というものが発信されていて、それを受信してくれる人たちがいてくれて、こんなに幸せなことってないな、と思います。

こういったプラスのエネルギー循環、プラスのフィードバックループが様々なところで起きていること、それが、世の中に大きなプラスエネルギーのうねりを生み出すのだと信じている。自分は自分のブログ&他の方のブログから、パワーをもらいっぱなしだけれど、この素晴らしい循環を経験していることが強さを生む。自分の土台となる。基礎となるのだと思う。そこから、よりよい建物を築き上げていくために、この基礎部分がしっかりしていないと、その上に建てるものはぐらついてしまう。しっかりとした土台の上に作られたお家、そこで思い思いに区切られるお部屋、その中の飾り、全てが自分なのだから。

人って、人を信じて、人を愛して、人とつながって、そうやって強くなる。当たり前のことだけど、それがあることでこんなにも自分が自分として、自分の道を歩めるのか。人を愛することは、時としてdependentな関係性にもなりうるけど、同じように互いに一生懸命、真摯に「人生で勝負してる!」人が周りにいれば、十分愛情を周囲から受けながらも同時に Independentでいることができるのだろうな。そして、幸運にも私の周りの方々は、本当に皆さんそうです。本当にありがとう!

小学校からのシドニーの友達、中学、高校の栃木の友達、大学の友達、社会人になってからの友達、まだお会いしていないけれど影響を受けている方々、もう会えないけどいつまでも影響をくれる方々、色んな人に守られていることを実感しています。

そして、そういったプラスエネルギー循環の経験を、自分の仕事を通して周りに伝えていければいいなと思います。教育という場は、幸いにも「成長する喜び」「努力したことで結果が出る喜び」「プロセスを認めてもらえる喜び」「結果を共に喜びあえる喜び」「仲間と一緒に、同じ厳しい目標に向かって努力をする喜び」そういった場を提供することができる。仕事に忙殺されると、ふと忘れがちになる上記の喜び、それはうまくサイクルをつくれば人生にとってかけがえのない経験になる。大人だって、素直に嬉しいもんなんですよ!だって、参加者は50歳を越えてたとしたって、素直に喜んでいる姿を見ているとかわいいもの!その喜びの積み重ね(当然、ある程度苦しい練習の負荷はあれど)が、それぞれの人にとって大事な瞬間になるに違いない。そう信じている。

最後に、respectという言葉、私は大事にしている。カタカナの「リスペクト」は何か意味が違う。要は、「そのもの自体の重みを感じる、認識するということ」。だからこそ、相手の”すごい性”(造語だ)についてその重みが感じられれば、それだけに「尊敬」という意味にもなるし、「尊重」という意味にもなる。よって、respect for othersは、「他を大事にすること」「他が、”他である性”に重みを感じること、それを大事にすること」だ。

なんか脱線してる・・・?でもポイントは「皆さんへの感謝」でした!

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訪う

教えていた生徒(Kさん)が病気で亡くなられていたことを知った。Kさんは中学校の英語教師で、私たちが年に2回行っている公開クラスに2~3年くらい前から参加してくれていた方だ。とてもエネルギッシュな方で、英語への愛情、人への愛情が深い、とても印象的な方だった。「日本の英語教育を変えていく!」というビジョンを私たちにいつも謙虚に、かつ熱く語ってくださっていたし、そのために自分の英語力を強化しつづけるのだと、私たちのクラスに継続的に参加され、新しく学んだ内容を本当に深く、丁寧に味わってくださった方だった。私が偶然、毎回Kさんのクラスの講師を担当した一人だったので、特に自分にはより深く印象に残った方だったかもしれない。Kさんはクラス中もとてもまっすぐに自分を見てくださったし、クラスが終わった後も、質問やコメントを毎回くださり、特に私の音指導と説明を気に入ってくださっていた。

今後、Kさんがクラスにサインアップしてくることはない。でも、他の参加者と何が違うのか?と考えると、ある意味では、何も変わらないかもしれない。参加者が自らサインアップしない限り、参加者と自分とが関わることはできない。他の人も含め、お会いしなければ/連絡が来なければ、生きているか死んでいるかすら分からない。そういった関係性の中で、生徒と講師がある限られた時間の中で、共に学ぶ。そういった貴重な「一期一会」が毎回クラスという空間の中に存在しているのか。そのことを改めて感じられた大事な機会だった。

Kさんの訃報に接し、あれだけ一生懸命「生」をつらぬいていた人が亡くなるという、まだなんとなく整理のつかない悲しみは残ってはいるけれど、彼の伝えてくれたもの、inspirationをくれたものは、私の中に確かなものとして残っている。「英語教育」で自分の一生をかけたKさん。私もまだまだ未熟ながら、同じ志をもった同志として、Kさんの想いを継ぎ、自分のソレと融合していきたい。

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