村上小説と私の、微妙なバランス関係

再び村上春樹。

アメリカに行く前に空港で買った短編集、「レキシントンの幽霊」を少しずつ読み始めた。

これは・・・決して気分転換に読むような本ではない。少なくとも私にとっては。

夜時差ボケで眠れないな~と思って「短編を一つ読んで寝よう」としたら、・・・とんでもない。短編なのにどんだけ深いんじゃい。氷男・・・

しかも自分の深層心理にどかん!とくるから、気分転換どころか、転換しすぎて、どーんと落ちる。やっぱりその効果は昔から変わらないな~、恐るべし村上春樹。耐性がかなり出来てきたんだけど、でもやっぱりちょい落ちそうになる。危ない、危ない。寝れなくなるから翌日仕事にならないじゃないか。

どぶーんと落ちたい瞬間、時、日もあるけれど、どぶーんと落ちてはいけない日もある。そういう月もあるし、そういう年もある。たぶん自分がよく知っているものなのだろうけど、その微妙な心のバランスを制御していきていくことが必要。私にとって村上小説は、深くもぐっていけそうな、無意識で守られているようなところもあり、逆にとても恐ろしく、中から剥ぎ取られる感覚のところもある。だからこそ、私はあえて全ての村上小説を読もうとしていないところがある。

・・・それでも、好き。でも、ダメなところがある。その微妙なバランスを崩さないように、興味をもっていたい。そうでないと、目を向けるべきところに目を向けることができなくなる。目を向けていたいところに、目が向かなくなることがありうる。

『レキシントンの幽霊』は、今レキシントン近くにいるから余計に響いたのかもしれないな。

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村上小説面白い。

はっきり言って、1Q84 BOOK3の一部ネタばれ的な感じなので、まだ読んでない人は読まないでね。

BOOK3はいや~驚いた。面白かった。BOOK1,2と異なるアプローチの書きかたに驚いた。この書きかただと賛否両論だろうが、メタ的な世界観から一気に現実に降りてきた気もして、個人的にはこの展開を面白く読んだ。面白さはBOOK3の世界が無数の方向に広がっていけるところ。

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「現実はひとつしかありません。」とBOOK1でタクシーの運転手が言う。そこから全ての世界がつながってBOOK1~3という何層にも絡み合った世界が存在している。
村上小説は、意識の世界に広がる物語であり、無意識の世界に連れて行かれる物語であり・・・自分という入れ物に無数の扉を用意してくれる、そこで自分を、世界を行ったり来たりさせてくれる不思議な世界を作り出す。意識と無意識の世界の存在は、桜井章一さんの本を読んだときに考えたことと似てて、とてもとても、興味深い。負けない技術

BOOK3の驚きなのは、「村上春樹」という扉が突然現れていたことだ。衝撃だった。こんな司馬遼太郎的手法、村上小説ではめずらしいのでは?(すみません、全部読んでないから分からないけど。Isくん教えて)
小説というある世界の中で(読み手にとってはある世界の中にいる気持ちだとしたら)、突然村上春樹が別世界から突如現れる。まるでこちらに「何が現実であるのか?」今私が感じ取っている、この小説の中の月が二つある世界か?それとも小説の中の月の1つしかない世界か?それとも今脳内世界で刺激を受けつつも、確かに自分の目の前にある世界なのか?「自分」が一瞬くらくらっと混乱してしまった。自分ってなんだ?

もう一つ、友人Isくんが書いていた偶有性の扉もこの世界に開かれている。今ある現実は1つで、それは偶然であり、必然である結果1つになりたっているもの。ただ、その1つのように見える現実の裏にはいつも、「他であり得た」可能性の束が合わさっていること。

ユングや河合隼雄の世界と共通するもの-意識に照らされた自分にとっての「1つの現実」の裏には、必ず「影」として無数に消えていった他であり得た道の集合体が潜んでいる。この辺は、もっと詳しく友人いなば氏が書いている『影の現象学』

BOOK3は、青豆の「他であり得た」世界ともとれる。青豆はそのままBOOK2とともに死んでしまって、でもその道を歩まなかったとしたらあり得た世界。

BOOK3は、天吾の小説の世界かもしれない。どうしても描こうとした青豆とのラスト。天吾が描いたもう一つの小説なのではないか。

BOOK3では、読者が「こうなってほしい」という流れになっていない。それが現実なのかもしれない。

BOOK3では、説明調に書かれているところは、結局全てを説明づけて意味づけをしようと、関係性を表そうとする今の世の中の面白くなさ、ソレに対する何らかの警鐘を鳴らしているのかもしれない。

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常にオープンエンドな村上小説の中で、今回のBOOK3はハッピーエンドにも近い、終結をきちんと迎えるものだ。ただ、ストーリーライン自体や、結果がどうなったかは村上小説には関係ないように思う。読み進めるプロセスで「世界の歪みと現実の恐ろしさに気づかされる」こと。しかも、その恐ろしさを匂わせているのに、小説としてのある種の爽やかさを失っていない。そこがすごいところ。

読めば読むほど表面のストーリーの軽快さの裏で流れる「意識と無意識」の世界の怖さを感じる。「善と悪」「意識と無意識」の両方の存在を、二元論的絶対的価値観でなく、両方が両立する相対的価値観の世界。その恐ろしさも美しさも、全てが現実として、自分達の目の前にあることを村上小説は示唆している。

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『残念な人の思考法』 山崎将志 日経プレミアシリーズ 

『残念な人』=努力しようとしていても、空回りする人、思うように結果が出てなくてつらいサイクルに陥る人のことを言っている本。

全てに納得するわけではないが、なかなか印象的なところが幾つもある本だった。

特に今ヒットしたポイントをメモしとこうと思う。

「(A)何を前提条件sとするか」×「(B)論理的思考」

論理思考は、ビジネスパーソンに不可欠な能力の一つ。ただ、「論理思考」と言っても、その考え手自身の意思や世界観に左右される。また、順序だてて組み立てた主張には、必ず出発点が存在するのだが、その出発点(前提条件)自体が常に仮説であり、個人の世界観である。

つまり、一見情報としてロジカルに整理されているように見えることも、前提条件がずれていると、到達する結論は意味のないもの/そもそもの目的を達成しないものになりえる、ということ。

自分も新入社員の頃はロジックが苦手だったために、「ロジカルであれば、結論は正しい!」ように思っていた頃があったことを思い出した。(昔はちょっとでもロジカルに見える人が議論をしてくると、萎縮してしまい、相手のロジックを疑うことなくいた時期もあった)

幸い、色々な仕事に関わっていくなかで、下記のことに気づくことができた。
①必ずしも「ロジカルであること」だけが、正しい結論を導くわけではない
②相手と結論が違っていた場合、
  ×必ずしもどちらかのロジックがおかしいから、異なる結論が出てくるのではなく、
  ○往々にして、ロジックを積み上げる前提が異なったから、異なる結論が出てくる

とすると、重要なのは、「(A)何を前提条件とするか(何を、前提として考えなければいけないファクターsに入れるか)」×「(B)論理的思考」である。

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もう一つ、著者の意見に付け加えるとすれば、自分はもう一つのファクターを掛け算にいれたい。

「(A)何を前提条件sとするか」×「(B)論理的思考」×「(C)複数のストーリー(仮説立て)」

(C)はたぶん中上級レベルかもしれないが、重要な要素だと思う。

自分の経験を振り返ると、1年目から3年目まで自分はクラス中心の仕事をしてきたが、クラス作りを通して特にこれらの視点sを強化してきたように思う。
教える”ノウハウ”を固めつつ、同時に次の回のクラスである”現場”をよくすることを考える何百時間もの議論の中で、上司と意見が対立した/または激しく(!)怒られたことの原因の大半は、「(A)前提の理解が違っている」、または「(B)積み上げたロジックがおかしい」ことによるものだった。

逆に言うと、表面上意見が違った時に、(A)互いの前提や、(B)ロジックのストーリーを確認できさえすれば、大きな対立にならずにすむようになることを学んだ

更に進むと、「(C)複数のストーリー」が重要になる。上司と一緒に、または誰かと一緒に(相手の頭を使って)考えているのでは、自分で良い判断をするためのアイディアsが出てこなくなってしまう。そのため、1人であれ、誰かと議論をするのであれ、常にロジックは幾つもの可能性を考えて、たてる必要が出てくる。前提sのパターンを複数種類にし、また、その上に積み上げるロジックも複数種類にする。その掛け算により、何種類もの仮説を立てた上で、最もベストだと考えられるものを選択する。

まず(A)と(B)が仕事の初期段階(3~4年目くらいまで)で学んでおいて良かったと思えることだった。

大きなメリットとしては:
・自分のアイディアを思いつきにせずに、周りを説得できるよう、きちんと論理的なストーリーを積み上げる習慣がついた。
思いつきでは、他人も、自分もいいのかどうか正しい判断できない。いいものも不要なものも含まれている状態では、ムダが生まれやすい。別のコンテキストでworkするのか確実でない。他に応用が利かない(自分の思考も応用が利かない)。などなど、色々なマイナスが生まれやすい。
逆に、論理的に考えることで、確信を持って相手と建設的な議論をしていくことが可能になった。(互いに前提×ロジックが分かると、ズレが起きている場所が分かるので、議論が進みやすい)

・議論がつまるときに、何が議論のネックになっているかチェックポイントが明確になった。
上記の通りだが、特にロジック至上タイプの人と議論していてずれが起きたときに、落ち着いて相手の論を理解するために必要な前提確認をすることができるようになった。それによって、自分の考えとの共通点・相違点が早く明確になり、互いに感情のしこりなく、スムーズに効率的に議論を進めることが可能になった。

・上司の考えをより深く理解し、学ぶことができるようになった。
自分が前提とするもの(初期の頃は特に)は非常に偏っていたり、一つか二つしか見えていなかったりするのに対し、上司はその何倍ものことを考慮に入れ、バランスを取ろうとし、それを前提に幾つものロジックを積み上げているので、その視点を学ぶいい機会になる。前提とロジックを説明してもらったり、自分の論を指摘してもらうことで、特に学ぶことができた。これらの点はOJTが非常に役立った。

自分になかなか刺激をくれる本は悪くない。内容が納得できるかどうかもあるけれど、それによってcounter ideaをくること自体が本を読むことの醍醐味の1つなのだろうな。

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なぜ盛者が落ちぶれたのか "How the mighty fall" by Jim Collins

今読んでる本、"How the Mighty Fall - and why some companies never give in" は、例の「ビジョナリー・カンパニー2」の著者 ジム・コリンズの最新本。最近読み始めたところ。

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なぜ、強者が落ちぶれていったのか + なぜ会社によっては、決して厳しい状況に屈することなく立ち上がることが可能だったのか。の両方が書いてあって面白い。

ジムコリンズの著の面白いところは:

●論旨が明快!対比+具体例が必ずでて来るので、説得力のあるロジック展開

(根性があれば)英語の勉強用としてもお勧め!(うちの研修では少なくとも使っている)

コンテンツが学べる、表現が知っていて損のないものばかり、ロジックの展開が(アングロサクソン文化では)説得力のある形になっている。

●単なる現実をきった形でも特徴の分析ではなく、現実の姿になるまでのプロセスの発展の仕方を分析している

「Good to Great(ビジョナリーカンパニー2)」の場合、優秀な会社の特徴を、現実の姿だけでなく、現実の姿にいたるまでにどのような経緯があったのかを分析。

今回の本、「How the mighty fall」であれば、ガンの進行ステージのように、どのようなプロセスを辿って落ちていったのか、そのプロセスごとの特徴を分析し、やばい兆候sを洗い出している。

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今日の英文

●危険な兆候1 "What" Replaces "Why" ("何"が、"なぜ"と置き換わってしまう)

The rhetoric of success replaces understanding and insight.

It's not "We're successful because we do these specific things. "

It's "We're successful because we understand why we do these specific things and under what conditions they would no longer work"

意訳すると、

「成功」自体に酔いしれてしまい、「成功」したことの裏にある要因や気づきが消えてしまうこと。

こういった(個々の具体的な)ことをやっているから、成功している と思うのは危険。

そうではなくて、

なぜ、こういった(個々の具体的な)ことをやっているのかが分かっている +

どのような状況下ではこれがワークしない(うまくは運ばない)のか が分かっていることが大事。

深い!

人間、どのような状況であれ、目先のやっていること自体=特に目に見えていること自体にとらわれがちで、なぜそれをやっているのか、どのようなコンテクストだから今のところうまくいっていて、どういう状況だとうまくいかないのかなんて、考えなくなってしまうことも多い。

英語のトレーニングもそう、商品開発のときもそう、教授プログラムを設計するときもそう。

上手くいった後はなおさらそれを冷静に分析することは重要。

トレーニングで使えるわ、この発想。

一部の人は全体像が見えず、とかく課題自体に目が向いてしまって、あせってしまう。でも、きちんと課題を仕上げている人たちに関していえば、この "Why and under what conditions"が見えているから、優れたパフォーマンスをみせてくれるのでしょう。

面白い。これから色んなものにアプライして学びを深めていこうかと。

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社員が適材であるための6条件

「ビジョナリーカンパニー2」の著者、ジム・コリンズ氏のインタビュー記事よりそのまま抜粋 for my memo。

概念的でシンプルで、重要なコアを描いてる。だから自分にはいい!

また、アングロ・サクソン企業で実際に存在する「グレイトカンパニーs」 から特徴を帰納した結果これが出て来ているところが、単なる理想論ではないのもいい!

また、日本企業だと難しいと思えることが入っているのも、いい!日本とアングロ・サクソン的文化の違いを見る上で参考になります。

というわけで、以下そのまま記事を抜粋。

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■社員が適材であるための6条件 = Right people

 (by Jim Collins 日経ビジネス マネジメント Summer 2009  p.19)

1)   会社の基本理念を共有している

経営者は基本理念を共有できない人材を採用してはならない。

企業理念を共有させる方法はない。なぜならば、採用の段階で、理念を共有できる人しか採用しないから。

共有できない人は、抗体にはじき飛ばされるウィルスのように消え去る、

2)   上から厳しく管理される必要がない

会社が社員の管理や動機づけに多くの時間を割いていたら、経営者は人材採用の段階で誤っているということ。

適材であれば、上から指示されなくても自主的に最大限の努力をする。

3)   「仕事」ではなく「責任」を与えられていると自覚している

「自分が最終責任を負う」と誓約できる。

例えば、新聞社であれば、「事実を報道する」という責任を自覚している記者が適材。

「仕事だから記事を書く」と考える記者とは違う。

4)   「コミットメント」を守り、大言壮語しない

不平を言わずに「やる」と言ったことを確実に実行する。

「有言実行」。不平を言わず、「やる」と言ったことを確実に実行する。

5)   会社と仕事に情熱を持つ人材

情熱を持っていてこそ偉大なアイデアや商品を生み出せる。

「強烈」と言われるほどのエネルギーを発してこそ適材。

6)   「窓と鏡」の基準を満たしている

適材は成功したら仲間の功績に、失敗したら自分の責任にするほど成熟している。

成功したときには「仲間が頑張ってくれたから」と言い、手柄を独り占めにしない。

逆に失敗すれば、鏡に映った自分の姿を見て「全ては自分の責任」と言う、成熟した人間。
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「後世への最大遺物」 内村鑑三

51hdq00x4rl いまさら街道まっしぐらですが、「後世への最大遺物」 内村鑑三 を読んでみて、今の自分の問題意識にひっかかってくること、ひっかかってくること。

「どう生きたいか」 これへの問い。自分への答えは、変化しつつ、固めていっている最中。

輪廻転生を信じる。自と他の関係が対立的ではなく存在していて、自分が他によって存在しているのだなぁ、と最近しみじみ感じる。

でも、「どう生きたいか」

それは、自分でしか決められない、とどっかで思っている。この想いは上記の感覚と、二律背反しない形で自分の中に存在している。

内村鑑三の書物でたぶん一番短いんじゃないか?と思えるこの文庫本。でも、ココロに訴えかけてくる文章があった。(ちょっと男尊女卑的な書き方をしてる部分はあって、微妙なとこもあるけど。まぁ、明治という、世界観がひっくり返った、そんな時期だしね。)

この人、プロテスタントでありながら、キリスト教的な発想に留まらず、「お金って、やっぱり大事よね」とか、「事業を起こすって、重要よね」とか、結構ずばり言っていて、小気味がいい。日本的。外から入ったものを上手に自分の中に取り入れて、でも前からあったものと衝突させずに融合させる。「いいと思うものはいいと感じて何が悪いの!いいじゃない!素直じゃない!」的な融合が日本らしくて好きかも。

ココロに残った部分をここに残したい。たぶん、また後で読み直すんだろうなぁ。

『私にここに一つの希望がある。(中略)私にこの50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに1つの何かを遺して往きたい。それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである

『この世の中にわれわれのMomentoを遺して逝きたいです。』

天文学者ハーシェルの言葉 『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか』

その遺してゆくものとは何か?

『勇ましい高尚なる生涯。(中略)すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。』

悪魔が支配する=人間の中の悪魔が支配する世の中ということかもしれない。人間を結局どう見て、生きるのか。人間というものを、周囲をどう見て生きるのか。これは、価値の選択なのだと思う。どちらを自分が「信じたい」と思うのか。価値判断をしなければ、世の中を信じることはできない。世の中は冷たい部分がたくさんあるし、殺しあう人間達もいる。現実的な数値的割合で、世の中の何%が殺人をしているとか、そういうfact自体で判断するものではない。これは、人間を見て、世の中を見て、もう自分しか判断できる人はいない。どちらを信じたいと思っているのかしかないように思う。

失望と希望は、直訳だと dispair vs hope. アメリカでまさに dispair/fear vs hope という対立概念として民主党の代表が必ずといっていいほど使うもの。クリントンもケリーもオバマもみんな使ったキーワード。問いかけてくるのは「どっちを(心から)信じられるか」ということ。

「どっちがいいか?」と聞かれれば、もちろん、「あんた、そりゃ、hopeに決まってるでしょうが」としか言えないだろう。後はこれが「今の状況下で、hope or fear どっちがいいか?」という質問なら、愚問。そんなもん、hopeの方が誰だっていいに決まってる。(まぁ、大統領選は往々にしてこの愚問を聞いて国民を誘導しようとするスピーチもあるけど)

けど、でも「ほんとにほんとに、自分が心の底から世の中をどう見てるのか、どう見たいのか」という問いかけであれば、やっぱり慎重に考えて自分に問いかけなくちゃいけない。そして選択をしなくてはいけない。うん、私は単なる楽観主義者としてではなく、こっちの価値を選択する。悲嘆と歓喜の世の中というのも同じ。

「何を遺したいか?」というのは、「ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである」という想いをベースにしている。

はっとしたけれど、つまり、根底に、『愛情』がある。人を愛する、温かな気持ちで接する、その愛情が循環している。愛をもって人を見られるかどうか。また愛をもった人とどれだけ自分が接することができて、愛情を注がれてきたか。とても大きい要素。

何か自分にはじーんときた。

クラスの参加者(特に長期コースの参加者)には、色んな人がいる。他の参加者とうまくコミュニケーションが取れない人。なかなか笑顔が出せない人。人と目を合わせられない人。立派な大人だけど、やっぱりそういう人はいる。

大抵、根気強くそういった参加者と向き合っていくと、ぽんっと彼らがブレークスルーすることがある。英語力的にも、人間的にも。

それは、ある環境が整って、完全に動き出した後。ある環境とは、参加者同士が互いの努力と成長を見ることのできる環境。それを喜び合える環境。また、理由なく怠け心で課題をやっていない人には、皆が厳しく指摘・アドバイスできる環境=つまり、正しい行為を喜び、正しくない行為をはっきりと厳しく指摘できる環境。これはこちらの愛情、参加者同士のリスペクト(これもソフトな意味でなく、愛情の一部と考える)が軸として通っているからこそ、互いに時に厳しくなれる。そして、それを個人攻撃やマイナスのものとしてではなく、プラスの意図で言ってくれているものとして取ることができる。オープンになれる。

クラス期間の中盤ごろから、笑顔が出始める。相手からの指摘を素直に聞き始める。課題に取り組み始める。

いい環境に人を置くと、多くの場合、人って変われる。そう思う。そう信じて自分もクラスをやって、その人たちと向き合っている。

そうか・・・自分が伝えていきたいこと、世の中に遺していきたいものって、

「人って、この世の中って、素敵だなぁ。信じてもいいなぁ。」

そう、相手の心にのこるように自分の会った人たちと接すること。うん。素直に人を信じて生きることかもしれない。

『勇ましい高尚なる生涯』なんて、内村鑑三のようには言えないけど、でも素直に人を信じて生きよう。人のいいところを真似よう。よくないことはよくないと、感情の部分を時によって切り離して言えるようになろう。

うん。すとんって落ちてきた。

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あの坂をのぼれば、海が見える

今日は有休で座禅しに駒込へ!と意気込んで寝たのは良いが、春眠暁を覚えずで、座禅スタート時間に普通に起きた(苦笑)。まぁ、こんなもんです、人生は。

というわけで、せっかく時間もあるし・・・と思い、色々やっていたら、ふと頭に一節がよぎった。

「あの坂をのぼれば、海が見える」

中学1年の時に教科書で読んで、それ以降の頭から離れないフレーズ。

「あの坂をのぼれば、海が見える」

話の内容はおぼろげにしか頭には残っていない。ただこの最初の出だしの1文が訴えかけてくるメッセージ性に驚くばかり。

坂」でネットで調べてみると、この作品が「小さな町の風景」(杉みきこ)という作品だったことを知る。世の皆さんのコメントも、「小さいころに印象的で~探してた」と同じような想いをもって、探索の旅に出た人がいたんだな~と嬉しくなる。 

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「小さな町の風景」杉みきこ

あの坂をのぼれば、海が見える。

少年は、朝から歩いていた。
草いきれがむっとたちこめる山道である。
顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。

あの坂をのぼれば、海が見える。

それは、幼いころ、添い寝の祖母から、
いつも子守唄のように聞かされたことだった。
うちの裏の、あの山を一つこえれば、
海が見えるんだよ、と。
その、山一つ、という言葉を、少年は正直に
そのまま受けとめていたのだが、それはどうやら、
しごく大ざっぱな言葉のあやだったらしい。
現に、今こうして、峠を二つ三つとこえても、
まだ海は見えてこないのだから。
それでも少年は、呪文のように心に唱えて、のぼってゆく。

あの坂をのぼれば、海が見える。
のぼりきるまで、あと数歩。
半ばかけだすようにして、少年はその頂に立つ。
しかし、見下ろす行く手は、またも波のように、
くだってのぼって、その先の見えない、
長い長い山道だった。
少年は、がくがくする足をふみしめて、
もう一度気力を奮い起こす。

あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、今、どうしても海を見たいのだった。
細かく言えばきりもないが、やりたくてやれないことの
数々の重荷が背に積もり積もったとき、
少年は、磁石が北を指すように、
まっすぐに海を思ったのである。
自分の足で、海を見てこよう。
山一つこえたら、本当に海があるのを確かめてこよう、と。

あの坂をのぼれば、海が見える。
しかし、まだ海は見えなかった。
はうようにしてのぼってきたこの坂の行く手も、
やはり今までと同じ、果てしない上がり下りの
くり返しだったのである。

もう、やめよう。
急に、道ばたに座りこんで、
少年はうめくようにそう思った。
こんなにつらい思いをして、
いったいなんの得があるのか。
この先、山をいくつこえたところで、
本当に海へ出られるのかどうか、わかったものじゃない。
額ににじみ出る汗をそのままに、草の上に座って、
通りぬける山風にふかれていると、
なにもかも、どうでもよくなってくる。
じわじわと、疲労が胸につきあげてきた。
日は次第に高くなる。

これから帰る道のりの長さを思って、
重いため息をついたとき、少年はふと、
生きものの声を耳にしたと思った。
声は上から来る。
ふりあおぐと、すぐ頭上を、光が走った。
翼の長い、真っ白い大きな鳥が一羽、
ゆっくりと羽ばたいて、先導するように次の峠を
こえてゆく。
あれは、海鳥だ!
少年はとっさに立ち上がった。
海鳥がいる。
海が近いのにちがいない。
そういえば、あの坂の上の空の色は、
確かに海へと続くあさぎ色だ。
今度こそ、海に着けるのか。
それでも、ややためらって、行く手を見はるかす
少年の目の前を、ちょうのようにひらひらと、
白いものが舞い落ちる。
てのひらをすぼめて受けとめると、それは、
雪のようなひとひらの羽毛だった。

あの鳥の、おくりものだ。
ただ一片の羽根だけれど、それはたちまち少年の心に、
白い大きな翼となって羽ばたいた。

あの坂をのぼれば、海が見える。
少年はもう一度、力をこめてつぶやく。
しかし、そうでなくともよかった。
今はたとえ、このあと三つの坂、
四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、
行き着いてみせる。
白い小さな羽根をてのひらにしっかりとくるんで、
ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳に
あるいは心の奥にか
かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた。

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この文章、少年の心に、人生を進む上で通るであろう、苦悩、諦めとニヒリズム的思考。物事の道理への落胆。そして復活、光、鳥の象徴している飛翔 soar!の喜び、再生。全てがこの物語の中に凝縮されている。すごい。

小さい時は、何を感じたんだろう。たぶん、美しい風景描写と、少年に「頑張って!」とエールを送っていたような記憶がある。

中1という、新しいスタート。日本へ戻ってきたばかりの、新しいスタート。最初に読んだ国語の本。色んな新しいスタートが自分の前に広がっていて、真っ白なキャンバスをもった自分がそこにいたんだなぁ。これ読んで、少年応援団的発想が浮かんじゃうのも、今ではめでたくて純粋で苦笑しちゃうけど、そんな風に感じた人は少なくないんだろうな。

「あの坂をのぼれば、海が見える」

あの純粋な想いを持っていたころから、色んな挫折を味わって、人間や自分へ疑いをもった時期を乗り超え、それでこそ、「あの坂をのぼれば、海が見える」と信じていたから、再生のエネルギーが湧いてでできたのかもしれないな、と思う。

12歳の頃の思い出が、そのまま輪のように30歳の自分にループをかけるように戻ってきてくれた。

今日はいい一日になりそう!

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つながっていく縁

先週のこと。
大学時代のeBayバイト仲間の敬愛するDaiさんから、一つの本を薦められた。

星野道夫さんの「旅をする木」

翌日、アマゾンで買った。

アマゾンから「旅をする木」が届く日に、勉強会で知り合いになったKさんからある本を薦められた。

星野道夫さんの「旅をする木」

1週間で2人の人に薦められた星野道夫さんの「旅をする木」。
2人は似ているようで、似ていないから、たぶん異なるところに惹かれているのかもしれないけれど、その2人が、同じ週に、自分にこの本を薦めてくれている。自分とその本との縁を感じた。

DaiさんとKさんは別の場所で、別のタイミングでこの本に触れ、心をふるわせたのだろう。そして今その感動は、私につながっていく。

そして、私はこの感動を、次の人に伝えていくのだろう。

本当に自分の心に響く本だった。
言葉の一つ一つが。
温かくて、優しくて、強くて、寂しくて、色んな人間である感情を呼び起こしてくれる、本当に素晴らしい本。

「人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている」

自分も、誰のためでもなく、自分自身の存在のために息づいてる。そんな当たり前かもしれないことも、自分にはとても大切な言葉になった。

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昨日MIXIの星野道夫さんのコミュニティを見ていたら、偶然市川で星野さんの写真展があることを知り、今日は土曜出勤の振替休みを使っていってきました。(今週日曜で終わりみたい!)
http://www.ichikawa-hoshino.com/venu/index.html

本当に行ってよかった。小さめな写真展だったかもしれないけれど、1時間30分くらい、その世界での時間を過ごさせてもらいました。

「最後に意味を持つものは、結果ではなく、過ごしてしまったかけがえのないその時間である」 

一つ一つの言葉が、そして景色がココロと体にしみ渡っていく感覚。あー、これだ・・・自分が欲していたものは。

アラスカ、行きたいな。あの広大な景色とオーロラを見ることができたら、また何かが自分の中で変わるかもしれない。

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自分に還る本

すごく久しぶりの感覚。
参加してる勉強会の仲間からの紹介で読んだ『デッドエンドの思い出』。今まで読んだ中でもかなり力強く自分の心のそばにいてくれそうな本。具体の世界ではなく、抽象的、感覚的、直感的世界に訴えるメッセージが強いので、自分には心地よくて、温かかった。

自分の内的世界が、外とつながっていることを改めて認識させられた本であり、こんな感覚かなり久しぶり。外とつながっているが故に直に入る光のまぶしさにドアを閉めたくなることもあるけれど、自分にはドアを締め切る鍵もなければ、勇気もない。でも痛くても外の素晴らしさを感じずにいられない。外からの光があたることで、やっと見える内的世界の広がりと可能性がある。それでますます外の世界に益々魅了される。特に「おかあさーん!」という話が、今の自分に必要なエネルギーをくれた章だった。

最近はPractical本ばかり読んでたから、こうやって、自分に還る本、気持ちを休められる本があること・・・すっかり忘れてた。
これからも、枯渇しないように、ココロに水をあげよう。

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『活かす論語』 第2章

・『活かす論語』 第2章 特にココロに残ったものを2つ:

①子曰く、「蓋しらずしてこれを作る者あらん。我はこれなきなり。多く聞きてその善なる者を択びてこれに従い、多く見てこれを識す

(解釈抜粋)

世の中には、十分な知識もなく直観だけですばらしい見解を打ち出すものもいるだろう。だが、私の方法は違う。私はなるべく多くの意見に耳を傾け、その中から、これぞというものを採用し、常に見聞を広げてそれを記憶にとどめるのである。

②多く聞きて疑わしきをかき、慎みてその余を言えば、則ちとがめ寡なし

(解釈抜粋)

できるだけ人の話に耳を傾け、疑問を感じたところはしばらくそのままにしておいて、納得のいった部分だけを発言すれば、つまらぬ失敗は少なくなるだろう

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