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③主語と述語

友人いなばさんのブログから刺激を受けて、思ったこと。

「共時性」

コトバ。
僕らが日常使うコトバは、主語と述語で表現していくシステムだ。 

主語・述語の関係を日々使って話し、考えているから、無意識に因果律に支配されやすいのだろう。 

だから、そこを超えるために、詩人がいるし、芸術が存在しているのだと思う。 

「主語と述語」を小テーマに持ってくるのは面白い。(ナイスセンス!いなばっち!)

日本人はそれでもまだ主語と述語を自由に使って、自在に想像力と表現力を膨らませることのできる言語を持っていると思う。

日本語はいわゆる「ウラル=アルタイ語系」の膠着語であり、助詞があることで主語はあらゆるところに来ても大丈夫、述語は最後まで決めなくていい、そういう自由度がある。なので、修飾語を大量につけて、世界を膨らませて、述語動詞をおかずにつらつらと文章を続けることができる。修飾語を長くつけた結果、「~とは思わない、かもしれない」のように、今まで言ってたことのどんでん返しみたいなことも、このタイプの言語だからこそできる。

一方の英語はというと、「印欧語族」であり、基本的に順序で意味をとる必要があるため、日本語のように自由自在に主語や述語を好きなところにおくことはできない。主語を置いたら、すぐに述語動詞をおかなければいけない。さっきの例でいえば、「~思わない、かもしれない」は、英語なら "主語 may not think... " とさっさと結論をださなきゃいけないので、最後でオチがくるようなことはあまりない。英語の言語体系には、最初に結論っぽいことを決めないと先に進まない、そういう不自由さが出てくる。そこに想像力を膨らませる限度が来てしまうのでは?

自由自在に変化できる、外の状況を勝手に取り込んで、自分流に立場や状況を変化させてもいい、という日本らしい発想は、まさに言語体系からも来ているのでは?

そんなことを考えさせられる、thought-provoking なテーマでした。

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英語」カテゴリの記事

コメント

すごく面白いね!

抽象的な思考も、具体的な思考も、なんだかんだで言語を一度介することって多いと思うんです。

言語世界で思考実験するとき、やはりその使用している言語体系の影響を間違いなく受けますよね。
それは、英語を話すときは英語人格で違う人になるような感じと同じで。やけに饒舌で明るく、身ぶり手ぶりや表情を織り交ぜながら、やけに歯切れよくなる!笑


因果律とかあいまいさとかは、自分が使っている言語に、無意識に大きく影響を受けるもの。
最近は、『無意識を意識化する』ことを自分のテーマとして考え続けているので、この辺、ほんと面白いよね!
あと、文字の問題もあるよね。
象形文字、ひらがな・かたかな。そして、ルビをふるという風に何層にもかさなていく感じ!

アルファベット世界の、26文字の順列組み合わせ手世界を表現していくのとはまるでちがうし。


面白いなー!

投稿: いなば | 2010年11月28日 (日) 20時30分

>いなばさん
いやぁ、ほんとにいつもあなたには刺激を受ける!グレートイナバウアー。

思考が言語の影響を受けるのか、言語が思考の影響を受けたのか・・・両方なのでしょう。思考も変わるし、言語も変わるし。すべてが絡まり合いながら、流転していきます。

最近思うのは、日本語の「抽象」と「具体」が切り離されていること。日本語って、抽象と具体の世界を行ったり来たりしない気がする。抽象の話をしているときは、そればっかりで何となく宙に浮いた話ばかり。具体の時は具体ばかり。特に人に何かを説明してわかってもらおうとする時には、この特徴が弊害になっていることがわかります。後は仕事の話なので、具体の話はここでは割愛するけれど、このあたりが今の私の問題意識だす。

いなばっちともまた色々話したいー!

投稿: ともこ | 2010年11月30日 (火) 23時39分

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