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村上小説面白い。

はっきり言って、1Q84 BOOK3の一部ネタばれ的な感じなので、まだ読んでない人は読まないでね。

BOOK3はいや~驚いた。面白かった。BOOK1,2と異なるアプローチの書きかたに驚いた。この書きかただと賛否両論だろうが、メタ的な世界観から一気に現実に降りてきた気もして、個人的にはこの展開を面白く読んだ。面白さはBOOK3の世界が無数の方向に広がっていけるところ。

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「現実はひとつしかありません。」とBOOK1でタクシーの運転手が言う。そこから全ての世界がつながってBOOK1~3という何層にも絡み合った世界が存在している。
村上小説は、意識の世界に広がる物語であり、無意識の世界に連れて行かれる物語であり・・・自分という入れ物に無数の扉を用意してくれる、そこで自分を、世界を行ったり来たりさせてくれる不思議な世界を作り出す。意識と無意識の世界の存在は、桜井章一さんの本を読んだときに考えたことと似てて、とてもとても、興味深い。負けない技術

BOOK3の驚きなのは、「村上春樹」という扉が突然現れていたことだ。衝撃だった。こんな司馬遼太郎的手法、村上小説ではめずらしいのでは?(すみません、全部読んでないから分からないけど。Isくん教えて)
小説というある世界の中で(読み手にとってはある世界の中にいる気持ちだとしたら)、突然村上春樹が別世界から突如現れる。まるでこちらに「何が現実であるのか?」今私が感じ取っている、この小説の中の月が二つある世界か?それとも小説の中の月の1つしかない世界か?それとも今脳内世界で刺激を受けつつも、確かに自分の目の前にある世界なのか?「自分」が一瞬くらくらっと混乱してしまった。自分ってなんだ?

もう一つ、友人Isくんが書いていた偶有性の扉もこの世界に開かれている。今ある現実は1つで、それは偶然であり、必然である結果1つになりたっているもの。ただ、その1つのように見える現実の裏にはいつも、「他であり得た」可能性の束が合わさっていること。

ユングや河合隼雄の世界と共通するもの-意識に照らされた自分にとっての「1つの現実」の裏には、必ず「影」として無数に消えていった他であり得た道の集合体が潜んでいる。この辺は、もっと詳しく友人いなば氏が書いている『影の現象学』

BOOK3は、青豆の「他であり得た」世界ともとれる。青豆はそのままBOOK2とともに死んでしまって、でもその道を歩まなかったとしたらあり得た世界。

BOOK3は、天吾の小説の世界かもしれない。どうしても描こうとした青豆とのラスト。天吾が描いたもう一つの小説なのではないか。

BOOK3では、読者が「こうなってほしい」という流れになっていない。それが現実なのかもしれない。

BOOK3では、説明調に書かれているところは、結局全てを説明づけて意味づけをしようと、関係性を表そうとする今の世の中の面白くなさ、ソレに対する何らかの警鐘を鳴らしているのかもしれない。

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常にオープンエンドな村上小説の中で、今回のBOOK3はハッピーエンドにも近い、終結をきちんと迎えるものだ。ただ、ストーリーライン自体や、結果がどうなったかは村上小説には関係ないように思う。読み進めるプロセスで「世界の歪みと現実の恐ろしさに気づかされる」こと。しかも、その恐ろしさを匂わせているのに、小説としてのある種の爽やかさを失っていない。そこがすごいところ。

読めば読むほど表面のストーリーの軽快さの裏で流れる「意識と無意識」の世界の怖さを感じる。「善と悪」「意識と無意識」の両方の存在を、二元論的絶対的価値観でなく、両方が両立する相対的価値観の世界。その恐ろしさも美しさも、全てが現実として、自分達の目の前にあることを村上小説は示唆している。

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『残念な人の思考法』 山崎将志 日経プレミアシリーズ 

『残念な人』=努力しようとしていても、空回りする人、思うように結果が出てなくてつらいサイクルに陥る人のことを言っている本。

全てに納得するわけではないが、なかなか印象的なところが幾つもある本だった。

特に今ヒットしたポイントをメモしとこうと思う。

「(A)何を前提条件sとするか」×「(B)論理的思考」

論理思考は、ビジネスパーソンに不可欠な能力の一つ。ただ、「論理思考」と言っても、その考え手自身の意思や世界観に左右される。また、順序だてて組み立てた主張には、必ず出発点が存在するのだが、その出発点(前提条件)自体が常に仮説であり、個人の世界観である。

つまり、一見情報としてロジカルに整理されているように見えることも、前提条件がずれていると、到達する結論は意味のないもの/そもそもの目的を達成しないものになりえる、ということ。

自分も新入社員の頃はロジックが苦手だったために、「ロジカルであれば、結論は正しい!」ように思っていた頃があったことを思い出した。(昔はちょっとでもロジカルに見える人が議論をしてくると、萎縮してしまい、相手のロジックを疑うことなくいた時期もあった)

幸い、色々な仕事に関わっていくなかで、下記のことに気づくことができた。
①必ずしも「ロジカルであること」だけが、正しい結論を導くわけではない
②相手と結論が違っていた場合、
  ×必ずしもどちらかのロジックがおかしいから、異なる結論が出てくるのではなく、
  ○往々にして、ロジックを積み上げる前提が異なったから、異なる結論が出てくる

とすると、重要なのは、「(A)何を前提条件とするか(何を、前提として考えなければいけないファクターsに入れるか)」×「(B)論理的思考」である。

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もう一つ、著者の意見に付け加えるとすれば、自分はもう一つのファクターを掛け算にいれたい。

「(A)何を前提条件sとするか」×「(B)論理的思考」×「(C)複数のストーリー(仮説立て)」

(C)はたぶん中上級レベルかもしれないが、重要な要素だと思う。

自分の経験を振り返ると、1年目から3年目まで自分はクラス中心の仕事をしてきたが、クラス作りを通して特にこれらの視点sを強化してきたように思う。
教える”ノウハウ”を固めつつ、同時に次の回のクラスである”現場”をよくすることを考える何百時間もの議論の中で、上司と意見が対立した/または激しく(!)怒られたことの原因の大半は、「(A)前提の理解が違っている」、または「(B)積み上げたロジックがおかしい」ことによるものだった。

逆に言うと、表面上意見が違った時に、(A)互いの前提や、(B)ロジックのストーリーを確認できさえすれば、大きな対立にならずにすむようになることを学んだ

更に進むと、「(C)複数のストーリー」が重要になる。上司と一緒に、または誰かと一緒に(相手の頭を使って)考えているのでは、自分で良い判断をするためのアイディアsが出てこなくなってしまう。そのため、1人であれ、誰かと議論をするのであれ、常にロジックは幾つもの可能性を考えて、たてる必要が出てくる。前提sのパターンを複数種類にし、また、その上に積み上げるロジックも複数種類にする。その掛け算により、何種類もの仮説を立てた上で、最もベストだと考えられるものを選択する。

まず(A)と(B)が仕事の初期段階(3~4年目くらいまで)で学んでおいて良かったと思えることだった。

大きなメリットとしては:
・自分のアイディアを思いつきにせずに、周りを説得できるよう、きちんと論理的なストーリーを積み上げる習慣がついた。
思いつきでは、他人も、自分もいいのかどうか正しい判断できない。いいものも不要なものも含まれている状態では、ムダが生まれやすい。別のコンテキストでworkするのか確実でない。他に応用が利かない(自分の思考も応用が利かない)。などなど、色々なマイナスが生まれやすい。
逆に、論理的に考えることで、確信を持って相手と建設的な議論をしていくことが可能になった。(互いに前提×ロジックが分かると、ズレが起きている場所が分かるので、議論が進みやすい)

・議論がつまるときに、何が議論のネックになっているかチェックポイントが明確になった。
上記の通りだが、特にロジック至上タイプの人と議論していてずれが起きたときに、落ち着いて相手の論を理解するために必要な前提確認をすることができるようになった。それによって、自分の考えとの共通点・相違点が早く明確になり、互いに感情のしこりなく、スムーズに効率的に議論を進めることが可能になった。

・上司の考えをより深く理解し、学ぶことができるようになった。
自分が前提とするもの(初期の頃は特に)は非常に偏っていたり、一つか二つしか見えていなかったりするのに対し、上司はその何倍ものことを考慮に入れ、バランスを取ろうとし、それを前提に幾つものロジックを積み上げているので、その視点を学ぶいい機会になる。前提とロジックを説明してもらったり、自分の論を指摘してもらうことで、特に学ぶことができた。これらの点はOJTが非常に役立った。

自分になかなか刺激をくれる本は悪くない。内容が納得できるかどうかもあるけれど、それによってcounter ideaをくること自体が本を読むことの醍醐味の1つなのだろうな。

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