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今年のまとめ①興味関心の広がり

今、まとめている。今年をまとめようとしている。友人まきちゃんが言っていたけど、やっぱり整理することは気持ちいい。混沌としていて言葉にならない、むずがゆいもどかしい自分がいる。自分の中をお掃除することで、新しい年を迎えようとしている。

別に、来年になって続きをやったっていいのだけれど。

STEP1は、自分の興味関心の広がりをまずは言語化。そのあとで、読んだ本から面白いと感じたことを写経のごとく、ひたすら書きうつそうかなと思っている。for 自分。

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2009年 今年の興味関心の広がり

《問題意識① ライフワーク》
◎GOAL
ビジネスの世界で、日本人の持つプラスを効果的に世界に広げる、世界に発信するにはどうしたらよいか。
・スポーツや芸術の世界のように自分達の能力が一目で抜きんでているのを分かってもらえる世界ではないとすると・・・・
・単に自分達が高コストで作っている商品を一目で利点があると分かってもらえる世界ではないとすると・・・
やはり一人一人の懸命に仕事をするビジネスパーソンたちは、言語を使って、何らかの形で自分達の力を一人一人が証明していく・表現していく必要が出てくる。

◎HOW?
相手を対等な人間として、リスペクトしうる人間として扱うという前提で、以下のことが必要では。
1)相手が理解できる言語で、かつ自分の意図が正しく表れる言葉を使う、
2)相手のロジックに則った、かつ自分の意図が正しく表れる方法+量で説明を行う、
3)相手に誤解なくメッセージが伝わる動き、表情、目、声の表し方をする
4)上記1)~3)を悪意なく、だますのではなく、利己的にならずに、嘘がなく正直に、誠意をもって行う

ただ、それらを可能にするためには、「自分達」を知らずにはうまく実行することは難しい。
なぜなら「自分達のメッセージ」の奥にあるものが言語化できなければ、整理できなければ、相手に自分を理解してもらうことは難しいから。
例えば、
なぜそれをやっているのか、
なぜそれを大事だと思っているのか、
なぜ日本語であればこの言葉を使って説明しようとするのか、
なぜこのような表情や動き方をして相手に伝えようとしているのか
感覚的なもの、抽象的なもの、伝統や習慣や価値観が裏に流れていることを自己認識し、できるだけ説明しようとすることが『知』にすることであり、かつ相手への誠意の表れにもなる。

『知』の形にして相手と共有すること、形にならないことは「形にならないという『知』」として共有すること。何でも言葉にすればいい、ということではなく、言葉をうまく利用して『知』のやりとりをすること。日本はそういう知的な関係性をもって、他国と、英語圏と対等に渡り合えないか。

◎2009年のテーマとなったこと:日本人の根底に流れるものは何だろうか。言語、宗教、哲学、歴史から具体的に掘り下げて、その後で帰納して仮説立て⇒検証サイクルへ

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《Tomoの問題意識② 自分のライフ》
◎GOAL
よりよく生きるとはどういうことだろうか。つまり、自分が自分の定めた枠や殻の中で閉じずに、周囲のものからプラスのものを受信し、吸収し、一方で発信し、放出するためにはどうあればよいだろうか。

◎HOW?

《受信し続けると同時に、発信し続けるアンテナを持つこと》
□受信アンテナ:
人間として様々なプラスエネルギーを吸い込み、マイナスが来たときにも余裕と全体像を失わない視点で(決して否定的、シニカルにならない視点で)学びを得たい。自分のぶれない思考軸を持ちながら、いいものを能動的に選択しつつ、同時に受動的に受け入れたい。その両方があることで、情報溢れるこの世界の中で、自分の思考のバランスを作られるのだと思う。

□発信アンテナ:
発信アンテナも同時に必要。受信型だけの限界は、
・自分の枠を超えられない。自分だけの思考軸に留まりがち
・自分の思考が言語化されず、意外と曖昧なまま、感覚的なままになっていることが多い
・アイディアが外とぶつかることへの免疫ができない。逆に他者が怖くなってしまう
逆にいえば発信するアンテナがあることで、
・他人と共有する目的で「発信できるように自分の中で形にする」ことができる
・他者とぶつかりあう、共鳴し合うインタラクションにより、何か別の、より素晴らしいものが生み出される体験を通し、自分と他者との関係がより深いものになる
・「自分」の枠を超えてアイディアが他のよりよいものに変わっていくことができる
・「自分」の枠を「自分」が心理的に超えられる

《感覚的であり、論理的であること》
□感覚的:
直感で捉えた感覚を大事にし、アイディアとしてもやっとした状態であっても惹かれるものを掘り下げる。ロジックで組み立てることからスタートしない、一見バラバラと発散したアイディア群も、後で収束させることを考えれば捨てることはない。広がりを捨てないで、後で整理することを考える。

□論理的:
感覚的に出てきたものをそのままにせずに、「ある形」にしようとすること。論理立ててブロックを積み上げるためには、ブロック自体が明確に何を示したいのか、そこに光をあてること。ブロック同士の違いをできるだけクリアに定義すること。定義しながらも、線引きして切り取ったものの間に残された可能性のあるものを意識すること。複合定義を大事にすること。(AかつBかつCである、というアイディア)

《言葉を大事に使うこと》
・言葉がある物事を切り取って表したラベルだとすれば、日本語の、英語の世界の切り分け方を学ぶこと。その定義とそれぞれの違いを意識して言葉を学ぶこと。そして、それを意識して使うこと。
・言葉が生きものであることを認識すること。つまり、生き物である以上、その生きてきた変遷・歴史を学び、それをベースに今存在しうる言葉の意味をより深く理解すること。

《生きること、死ぬこと》
何かを考える一つのとっかかりとして、物事の対義的な要素を考える。
「Aであること。つまり反Aでないこと。」
「Aであるのか。反Aであるのか。」
・よりよく生きるために、よりよく死ぬことを考える。
・生きているのか、生かされているのか。
・わたし と あなた
・自分 と 非自分(他者)
・内と外
・今と昔
・現在と過去
・点(「いま」というこの瞬間)と線(過去からつながって存在する「いま」)
・自分と父母
・女と男
・妻と夫

◎2009年のテーマとなったこと: まず、自分を取り巻く世界をよりよく、より深く知る。特に、時間軸(横:左右。過去現在未来)と、空間軸(縦:現象と根底にあるもの。ポッと浮かぶアイディアと深い分析)を大事にすることで理解する。

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普通はこういうのを年初にたてるんでしょうか。私は発散→収束型アプローチが好きなので、年末に「あぁ~テーマはこういうことだったんだ」と発見しちまいました。

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コメント

ともこさんの好奇心の広さから、お人柄、思想の深さまでが、すごくまとまっていて、
とても面白く読ませてもらいました。

「より良く生きる」…ソクラテスからベネッセまで(笑)は、ぼくも突き詰めて言うと、そうなのかなと思います。
前の会社では、「お金だけでは働けないやつ」みたいな言い方(良い意味でデスよ)してました。

テーマは、「私」とか「自我」なのかもね。
(…ぼくは、同じ個とを最近「尊厳」とか「役割」みたいな視点で見てます)。
それが従来的な評価軸なり教育なりでは、どうやら行き詰まりそうな所は分かってきて(先日の「かなしさ」座談会ではないですが)、そのオルタナティブな方法論を今皆で模索中って段階なのだと思う。
そして、その可能性として、「発信」ってのは、すごく重要そうですよね。

「感覚的と論理的」の議論で思ったのが、
社会学者・大澤真幸が、「感情は論理的である」って言ってるのを聞いて、ハッとしたのを思い出しました。ここで論理的ってのは、一貫性があるというような意味です。感情って(好き嫌いなんかそうだけど)、メチャクチャでは決してなくて、すごく一貫性がある。ただ、それが前言語的だから、感性⇔理性というような対立軸で捉えがち。だけど、厳密に言うと…、
言語化できる一貫性=顕在論理
前言語的、感性的一貫性=潜在論理
ってことなんでしょうね。
…そんなことを思いました。

ちなみに、年賀状届きました−。ありがとねー。また、ゆっくり話しましょう。
今年もヨロシクです!

投稿: Is | 2010年1月 4日 (月) 00時30分

>Isくん
コメントありがとう!
うーん、コメントから非常に刺激を受けた!

「言語化できる一貫性=顕在論理
前言語的、感性的一貫性=潜在論理」
両方が大切な、ある意味で『ロジック』が通っている形なんだよね。感性の方だって、あるロジックの一貫性がないとただめちゃくちゃなだけになるし。
だから、ポイントは「言語化できる」ところと「前言語的」なところにある、そこに『対立するわけでない「違い」』が存在するんだと思う。

『感性⇔理性というような対立軸で捉えがち』
最近考えているのはこの「対立軸」についてです。

『感性⇔理性』を分けて考えること自体は、否定されることでなく、両方の面を理解するのに非常に大事なコンセプトだと個人的には思うのね。ただそれを「対立する=二元論的」に考えて、それに価値付けをすることに(どっちがいいだの、悪いだの)問題が隠れているのだと思う。

正しく物事を理解しようとするときに、反対側の概念を理解しようとすることで、そのものが分かることって多いと改めて気づいた年だったのです。

例えば感性の素晴らしさ(そしてそれを操る落とし穴)を知ることが、理性の持つ素晴らしさ(そしてそれを操る落とし穴)を知ることにつながったり、感性の良さを表すために余計な要素を入れないようにclarifyする*ために、理性という概念を作って違いを表したり・・・違っていることが分かるからこそ、それぞれの素晴らしさが引き立つのだと思います。

そして、最終的には区別したことで終わらずに(例えば、感性と理性をただ分けてそれぞれの良さも落とし穴も認識することで終わらずに)、その後如何にしてその両方を持ついいバランスを保てるかが大事になってくるのでしょう。まさにバランス。まさに「あわい」だね!

ただ、この「あわい」が素晴らしくなるには「あわい」をつなぐ別々の要素のもの(例:感性と理性、生と死、絵画的と音楽的)の違いを明確に認識した上で、「あわい」or 「ちょうどいい有機的バランス」が取れることが大事なんだと思う。

それらの区別が曖昧で、何となく曖昧なのが楽だから明確にしないでおくと、「あわい」が「あわい/バランス/中道/中庸」でなく、「中途半端、曖昧、混沌」というマイナスになってしまうかもしれない。そう思います。

というわけで、色々この点は掘り下げました。またぜひ直接会って色々交流したいです!

新年のコメントとっても嬉しかった~ありがとうねん★

投稿: ともこ | 2010年1月 8日 (金) 00時42分

ちなみに、clarifyとは「クリアにする」の中でも、他のものとの違いを消すことで明確にするという意味です。「Aをclarifyすること」は、Aの理解に誤解がないように他のB,C,Dの要素は違うよ、と違う面をcross outしていくことでAを浮き上がらせる感じ。
こういうニュアンスを持つ言葉が存在しているところから見て、英語って、本当に言語で明確に線引きをしようとしている言語世界=物の見方をしているんだなぁ、ととても興味深く思います。

投稿: ともこ | 2010年1月 8日 (金) 00時45分

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