« 2009年9月6日 | トップページ | 2009年10月27日 »

ベートーヴェン三昧

154

アメリカの出張中の話を少し。(まだ成田からのスーツケースが来ない~)

上司のいるワシントンDCからクライアント先まで、車で巡業の旅に出るのがいつもの流れなのだけれど、もう一個うちの会社が好きなこと。それは車の中でひたすら音楽を聞くこと。ここ3年くらいはクラシック聞き比べがはやっている。

今回のクライアント先までは車で8時間で、今回もまたまたベートーヴェンの聞き比べ。

交響曲&ピアノソナタの同じ曲を指揮者、年代、楽団で色々比較して聞いて、好き勝手素人で言い合う楽しい会でした。

フルトヴェングラー×ウィーンフィル、カラヤン(の、若い時とおじいちゃんの時)×ベルリンフィルで比較。またまた交響曲では、1番から9番を聞いてどれが好きか色々聞き比べてました。比較するためには車のスピーカーのクオリティーがかなりキーになるけれど、今回の車はアメリカで販売が伸びている KIA(韓国製)のヴァンで、これはなかなかいい感じの低音が響くスピーカー。

交響曲比較では、今まで第9が好きだったのだけれど、今回は3番も好きになってきた。1番と2番の微妙にモーツァルトチックな感じから、ベートーヴェンらしさがガンっと出てくる。ベートーヴェンはベルリンフィルの勢いのいい抜ける弦が個人的には好きで、1963年のカラヤン×ベルリンフィルのCDが好き。このCDは音がよくて素晴らしい!(第2楽章だけは、フルヴェン×ウィーンフィルのゆ~ったりとした悲愴風な方が好きかな)

  ・カラヤン×ベルリンフィル 交響曲第3番のYouTube (このYouTubeはちょっとCDよりもスピードが速いかも。カラヤンの自意識も少し感じられるし 笑)

  ・フルトヴェングラー×ウィーンフィル 交響曲第3番 第2楽章のみ 音だけ(あぁ!美しいね~~)

1番もまともに聞くと、やはり美しい。軽やかさがありながらもベートーヴェンらしさの芽が

出てきている感じもする。いまいちモーツァルト風になっていない感じがまたいいのかも。ただ、ベルリンフィルの方で聞いた方がその芽は感じられるかもしれない。ウィーンフィルだと、弦がころころっと美しく流れるので、逆に悲しいかなモーツァルトになりきれてないサリエリ的要素が出すぎる感もあり。

 ・カラヤン×ベルリンフィル 交響曲第1番

5番もいいよね~。じゃじゃじゃじゃーん、だけで日本人の印象に残らせているのはもったいない!実にイイ曲だよ。

久しぶりに、フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭の第9も聞いた。丁寧に観客に音を聞かせながら、または自分で音を聞きながら指揮をしていることが感じられる。ビバ!

しかし、聞けば聞くほどベートーヴェンの魅力に惹きつけられる。今までは交響曲とピアノソナタ、あとは有名どころのバイオリンコンチェルトしか聞いていなかったけれど、もっと他のも深めてみようと思う。お勧めあれば誰か教えて!(さっちーん)

実はむかしあんまり好きじゃなかったモーツァルトも、今回の旅で改めて聞いてみると、やっぱりすごさを感じて、なかなか好きなのが出てきた。交響曲29番、35番(Haffner)は特に好きになってきた。ウィーンフィルの軽やかにころころ転がる弦の音が、モーツァルトとあっていて圧倒的に好き!

音楽談義でした。

ちなみに帰りの飛行機で偶然見た、『路上のソリスト(The Soloist)』という映画もベートーヴェンをこよなく愛するホームレスのチェリストの話でした。これはお涙ちょうだい的でなく、冷静に、世の中の流れを描写している感じの静かな映画で、実際にアメリカに存在する差別、ゲットー、麻薬中毒、精神の病などを描くもので、見て良かったと思えるものでした。

またまたベートーヴェン尽くしに・・・

お、やった!スーツケース来た!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ディア・ドクター

Kis0046003_s

2週間のアメリカ出張も無事終わり、日本に帰ってきた。

アメリカにいる間に自分の時間があるからブログアップしやすいかなと思いきや、怒涛の2週間となり、しかもデジカメで写真を撮ったはいいが、結局接続器を忘れたために、アメリカ日和を書くことは断念。結局帰国後の振替休みで書いてます。

でも!心の中ではずっと文字にしたかった。映画、ディア・ドクターを観て感じたこと。

渡米前に、友人のいなばさんとまきちゃんと会ったときに話に出ていた映画。いなばさんのコメントを読んで、「お!これは、好きそう!」と思ってたから、たまたま飛行機の中でやっていてすぐ食いついた。釘付け。

今回の出張で得た学びとテーマが似ていて、飛行機の中からアメリカでする経験の序章が始まっていたかのように思えたくらい。

ディア・ドクター。西川美和さんの監督作品。女性らしい感性なのか、その映画の映像美、ちょっとしたしぐさで描く緊張感と空気感。絶妙で素晴らしかった。

地方の過疎化した診療所で働く医師の話。私がやっている英語という分野と全く関係なさそうなテーマだったのに、そこで得られたメッセージはかなり共通するものだった。

「医者」という『ラベル』は何なのか。『ラベル』はいつしかひとり歩きし始め、『ラベル』をもつもの=価値のある者、のような式が生まれてしまった。

そもそも、人間がある悩み・苦しみを抱えていたからこそ、「医師」という存在が生まれたのに、その根本的な意味が失われてしまっている、または失わせてしまっているのかもしれない。

ビジネスでも同じことが言えるように思う。

MBA」、たとえば「大企業の○○会社」なんでもいい。そこにある『ラベル』は、もともとは“人間が抱えるある痛みを治すために、課題を解決するために”存在するようになった。『ラベル』自体に意味があるのではなく、その『ラベル』は“人間が抱える痛みを治すために、課題を解決する”ことができるための、必要最低限の知識とそれなりの基本的な経験を持っていることを表す。だから、意味がある。

裏返せば、その『ラベル』を持っていたとしても、“人間が抱える痛みを治すために、課題を解決する”ことを追求しようとする、またはその重みを感じていなければ、その『ラベル』はただセロハンテープのように貼られたにすぎない。

自分の仕事にも同じことが言える。私たちの提供する英語研修プログラムも、講師陣の力も同じだと思った。うちは基本的に広告を出さないし、売り込みもしない。その状態で大手のクライアントがついていて、ビジネスが増えていることは非常にありがたいことである。ただ、この状態に甘んじて、今喜んでもらっていることをただやり続けているだけでは、本質が見えなくなる危険性がある。そもそも、今教えていることは、何のためにやっているのか。お客さんがどのような問題を抱え、何を解決しようとしているから、このプログラムを導入しているのか、それを決して忘れてはいけない。今自分の持っているプログラムが、今後もずっとクライアントに喜ばれると当たり前のように思いこんではいけない。大企業がクライアントにいるからといって、自分達がすごいもののように振舞ってはいけない。Jim Collins ” How the Mighty Fall ” に書いてあった学びにも通じるけれど、『自分達はこの個々のこと(these specific things) をやっているからすごいのではなく、なぜそれをやっているのか分かっているから結果を出せる。また、どういう状況下では今やっていることが役に立たなくなるかも分かっているから結果を出せる』ことを念頭に置いておかなくては!

そんなことを強く感じられるきっかけになる映画だった。

帰りの飛行機の中でもまた観たけど、この映画本当にいい!素晴らしい!根本的な問いを自分にくれるだけではなくて、人間のあったかさも感じられる。ちょうどいい温度のお湯を急須に入れて、お茶を淹れて飲んでいるような、温かいものが流れこんでくるいい映画~~~

DVD出たら買います!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年9月6日 | トップページ | 2009年10月27日 »