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「自分」が考えている場所

Wtr0059024_m (自分の中の世界のイメージは、青ですね。)

よく、腑に落ちないとか、腹に落ちるとか、言うけど、人が「おぉ、分かった!」って感覚になるときって、おなかのあたり、または内臓をさしてる。

ここに何かいるらしい。脳みそでない何かが。

英語でも、gut feeling = 内臓の気持ち = 直感で、日本語とおなじとこをさして言う。gut instinct = 内臓の本能 = 直感も同じ。

なんでこんな話になっているかというと、これが最近、自分の中のちょっとした流行なので。

この前後輩の恋愛相談にのってたのがきっかけで、ふとした時間に、「彼女(後輩)と合うのはどういう人かなぁ」「自分はなんで相方とつきあって、結婚するんだろう」など考えていた。ベッドに入って、色々と、あーでもないこーでもないと思い巡らせていたときに、ふと気がついたことがあった。

私の体はベッドの上で動いていない(呼吸はしているが)。でも、自分の中の自分はものすごいバタバタしている。「こうかな~、いや、どうかな~。こういうこともあるしな~、こっちはいいかな~」などとあっちこっち自分が考えているとき、自分の中にいる自分の場所を感じた。

胸のあたりに、確かに「意識としての自分」がいる。少なくとも私の感覚では。

そう考えると、はて。私の隣でぐーすか寝ている相方の中にも「意識としての相方」がいて、それが彼の体の中でバタバタと動いたりしているのかな。とすると、「意識としてバタバタしている自分」は、実は、相方の体の中にいる「「意識としてバタバタする相方」と会話をしているのか。とすれば、自分が見ている相方には顔も体もあるけれど、「意識としてバタバタする(バタバタしていないかもしれないけど)相方」と私は話をしているのか。

おぉ~~~そうかっ!とすると、自分は「この人と合うなぁ」と思っているときは、その人の体の中にいる「その人」と話をしていて、そう感じているのかもしれない。

ガンダムの中のアムロ青年のような位置に、「自分の意識くん」がいるような気がする。そして、基本的に自分は「自分の意識くん」のいる場所から感じて話をしている人なのかも、と思ってきた。腹まで下にいかないけど、胸付近。ちょうど胃の位置かな。

一方、脳みそのある場所(頭の表面)で話す私もいる。仕事のときによく登場するけど、ロジカルに外の情報を分析して理解したり、発信したりするときには頭で喋っている気がする。

両方を使い分けてみてもいいかもしれない。ロジカルに客観的に分析的にみるときは、脳みその表面(?)で考えて話す。相手を思いやった上で話をする、自分の思い、感じたことを伝えるときは、胃のあたりで考えて話す。

教えるときにもうまくいくかなー

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概念」カテゴリの記事

コメント

これって、僕が最近考えている『こころ』と『からだ』の問いに近いなー。

『こころ』は意識、『からだ』は肉体。

『こころ』や意識ってのはすごく大事なのは当たり前なんだけど、それをあまりに重視すると脳中心社会になっていく。
『からだ』はおきざりにされて、売春とか正当化されたり、愛のない性欲がはびこる世界になる。

『こころ』と『からだ』が分離したのは、やはりキリスト教の霊魂と肉体を分離して考える心身2元論は大きな影響与えてると思う。(最後の審判の世界観) あと、デカルトも絡んでくる。

『からだ』の大事さを本能的に知っているのは、女性に多いなんだと思います。
ともこさんは、お腹あたりに『からだ』を実感できる何かがあるんでしょうな。そんなポイントがあるだけで、『からだ』の大事さに戻れるのだから、重要なことです。

僕も、登山とかクライミングとか自転車とか散歩とか・・あれは自分が『からだ』を思い出す為の重要なポイントになってるってのに気付き始めてきました。

この辺は、思索を深め中。
今度登山に行くと、また深まるかなぁ。

投稿: いなば | 2009年7月 8日 (水) 07時22分

>いなばさん
いや~昨日は熱かったね!『こころ』と『からだ』論議もますます熱くなってきそうなところです。

日本と欧米の絶対的な違いは、(もちろん一概にはいえないけれど)いなばさんの今の問題意識にある、

『こころ』と『からだ』
『自』と『他』
『同じ』と『違う』
『抽象世界』と『感覚世界』

さらに発展させると、
『概念世界』と『事実(ファクト)世界』

にあるように思う。ほんと。

逆に言えば、上記を認識することで、自己を消すことなく欧米の文化に溶け込めたり、欧米のいいところを生かしながら主軸は日本的でいられる日本人が増えるかもしれないと、直感的にそう思います。


日本人って不思議で、ある部分『概念的なこと』を考えているし、宗教がないわりに精神論とかすごく多い国民のようなんだけど、それでいてとても『感覚的・ファクトベース』なコミュニケーションをするのよ。

例えば、日本人に「週末どうでした?」って聞くと、
ほとんどの場合、ファクトで答えてくる。
「いや~、なにして、かにして。それでどこどこにいって・・・」
もう、一日の記録です。

対して欧米的なコミュニケーションの場合、まず、価値付けが行われるから、
「楽しかった/普通だった/それなりに過ごした」などのファクトの集合体である意味づけをした上で、必要なファクトを述べてくる。

もちろん価値付け・意味づけ自体が実に欧米的であり、それをすべきでない場合も多いのだけれど、異文化の人とコミュニケーションするときには、それなりに価値付け・意味づけができていないと、頭が整理されていないような、子供っぽい印象を与えるようなんだよね。もちろん、欧米の人だって多くの人は優しい
から話は聞いてくれるけど。

私にとっても、

『こころ』と『からだ』
『自』と『他』
『同じ』と『違う』
『抽象世界』と『感覚世界』
『概念世界』と『事実(ファクト)世界』

は、コミュニケーションを考える上で大きなテーマです!おもしろい!!!ますます深めよう!

投稿: ともこ | 2009年7月12日 (日) 00時35分

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