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桜から新緑へ

桜が散っている。国全体で、これほど一つの花が咲くのを待ちわびる民族はいないんだろうなぁ・・・と思いながら、桜が散っていく姿を見る。

美しさは変わらない。ただ、ピンクが少しずつ新緑に変わっていくだけ。

緑に変わった途端、道ゆく人々がその木々に関心を向けることはほとんどなくなってしまうけれど、でも、そこに確かに桜はあって、たくましく、美しく、緑の葉をつける。

このページも、桜から新緑に移りゆく。

「花は散っても、桜の木であることは変わらないよ。」

四ツ谷の桜くん達に、そう呼びかけられた気がして。

そだね。変わらないね。

私も、変わらないかな。

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自然・空・地球」カテゴリの記事

コメント

私も葉桜に移り変わるのを眺めるのが好きです。日々劇的に緑が増えていく様子は、ピンク一色の花ざかりのときよりも、ドラマチックな変化のときなのかも。四季を堪能する和の心、大切にしたいですね。

投稿: ゆか | 2009年4月12日 (日) 22時01分

>ゆかさん
Welcome!ゆかさん!

「ドラマチックな変化のとき」ほんとそうですね。いきなりぶわっと緑の配分が増える感じありますよね。その生命の躍り出るような強さは自分達にエネルギーを与えてくれる気がします。

ピンクの淡さ、儚さは素敵で、それへの名残惜しさもありますが、秋になれば緑の葉が紅葉していく、その変化があるときも緑が消えていくのは寂しさを感じますよね。そしてすぐに紅葉を楽しむようになって、やがて葉が落ちていく。そしてまた桜の季節を待つ。四季の変化があることで、失われていくもの、新しく生まれるもののありがたみをより感じる気がします。

ゆかさんの感性も素敵ですよね。いつも好きだな~、と思っていますよ!

投稿: ともこ | 2009年4月13日 (月) 01時25分

本当に。桜の一年で一番美しい姿は、たった一日なんだなと、愛する桜の木を眺めて思いました。満開の次の日には、あっという間に散ってしまった。でも、その日からまた来年のその日まで、少しずつ若葉を広げて、毛虫も住まわせて、どんな雨の日もどんな晴れの日も、誰も見ていなくても、そこで刻々と生き続けてるんだなぁこの子は…と木にもたれかかってぼーっと感じ入っていました。 桜だけでなく、若葉の勢いはすさまじい。毎日毎日台所から見える、向こうの森の木々が変化していくのが分かります。うちの台所からの眺めは最高なんです^^。智子さんにもここに遊びにきてほしいなぁ。
春のよき日々をお過ごしください。

投稿: la strada | 2009年4月13日 (月) 21時47分

>la stradaさん
どっしりとla stradaさんを見つめている桜の木。ふと、その1本の桜の木がふかくふか~く根をはって、la stradaさんのいる街を支えているような絵が浮かんできちゃいました。わぁ、素敵ですね・・・(妄想)。たぶん、la stradaさんの「まっすぐまっすぐ根を伸ばす」を想像したら掛け合わさりました。

la stradaさんのお部屋の窓からの眺め、本当に美しいですよね。HP上越しなのに、どこでもドアみたいに、四次元ポケットみたいに、その空間が自分に向かって開かれているような気がしてます。ドイツ好きですし。。。窓からぶぁって、景色に吸い込まれそう。

緑、絶対必要ですよね。緑が見えないのって、なんか当たり前に自分の周りにあっていいはずのものがないような気分になります。自然がおのずからのペースで変わりゆく姿を見ていると、自分の自意識とか、自分が勝手に刻んでいた、時間の感覚から離れさせてくれる。

ふぅ。なんか立ち止まってしゃがむ方向に陥ってしまいそう。いかんいかん。

ドラえもーん!・・・と、唱えるとなんだか空想の世界にいけて、いい感じ(苦笑)
戯言失礼しました!

投稿: ともこ | 2009年4月14日 (火) 00時28分

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