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家族との普通の1日

親が東京に来た。

お姉ちゃんと私は東京にいるので、親を迎えに東京駅に行く。

ホテルに荷物を置いて、そのまましばらくだらーっとする。テレビがついている。一緒に見る。そのまま誰かが昼寝する。うちの家族のお決まりの流れ。

東京にいても、海外にいても、旅行先にいてもほぼ同じ。きれいなホテル自体が好きな母。横で母と一緒にまったり珈琲を飲んで過ごす父。そのゆるい空気感で眠くなる姉妹のうちら。ゆるゆる~っと1、2時間経つ。

それから外に出るも、なんとなくお買い物。食器好きの母はデパートへ。本好きの父は本屋さんへ。うちらはどっちかについていく。

夕飯は早めの18時スタート。九州男児の頑固な父は、とにかく待つのが大嫌い。とにかく注文から早くご飯を出してくれるところじゃないと、イライラが表面に出る。それが出ないように店選びは慎重に、食事が出てくるのが遅いときは姉妹連携で会話でつないで気を紛らわす。今まで衝突回避の失敗と成功の連続の中、色んな微妙な空気を吸ってきた私とお姉ちゃんが学んだ「平穏の作り方」。そして成功すると、ほっと楽しい夕食が終わる。

親をホテルに早めに送って、私たちは帰る。

いたって普通の光景。

これまでも何回も経験した時間。

その普通どおりの、いつもの、どこにいても変わらない「家族」の中にある、私たちの「家族」だけの「普通」、私たちの「家族」だけの「関係」、それが存在していることにとても愛おしさを感じた。何をしていなくてもいい。ただそこにいるだけでいい。ちょっとした「家族」の暗黙のルールはあれど、それは無意識のうちに従っていくもので、特に無理はない。

お父さんが笑う、お父さんが怒る、お父さんが本を読む。

お母さんが笑う、お母さんが悲しむ、お母さんが動きまわる。

お姉ちゃんが笑う、お姉ちゃんが黙る、お姉ちゃんがうたたねする。

私が笑う、私が仲介に入る、私がみんなを観察する。

それぞれに互いに変化する見えない役割のようなものをもって、「家族」として自然に1つになっている。こんな当たり前のことに、何だかとても感動する。今日だけじゃないかも。これまでも、何となく「家族がいる今」を感じては、その瞬間を愛おしく幸せに思っていたかもしれない。

自分は特に父と離れて暮らすことが多かった。それだけに、家族4人でいられる時間は特に大事にしてきたのかもしれない。4人で過ごしたことをはっきりと覚えている時間は、オーストラリアの6年間。後は、父親が海外を単身赴任で渡り歩いて、自分達と一緒にいる時間がほとんどなかった。だからなのか、自分は余計に父親を求めているし、どんなに頑なで、瞬間湯沸かし器並みに怒り出す人であっても、父親が好きだ。(あ、しかもB型。でもそんなB型も自分は好き) 父親がいて、「家族」が一緒にいられる時間を何よりも大事にしたいと思ってきた。また、物理的には一緒にいなくても、「私たちの家族の形」を大事にしたかった。

「私たちの家族の形」=普通に、いつものようであること。

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田口ランディ氏の『パピヨン』を思い出した。

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『パピヨン』は様々なココロのざわめきと深い安堵感を与えてくれる作品だ。

「家族」の関係について書かれていた一節は忘れられないし、今回もなぜかふと思い出した。

『母が死んだ時も、兄が死んだ時も、自分が母や兄の苦しみを分かち合える存在だと気づけなかった。だけど、そうなのだ。どんなに私が自分の家族を嫌っても、呪っても、冷淡で涙すら流すことがなくても、私は彼らの家族であり、その喪失に心を痛めるのは、この世に私しかいない。ただそれだけで、よかったのだ。』

縁起でもない、という人がいるかもしれない。今生きている家族のことを考えているのに、上記のような一節を思い出すなんて。

でも、違う。ここで書かれていることで、自分が解釈したメッセージは、家族の「死」や「喪失」について、ではなくて、家族という当たり前の存在としてのシンプルな関係性を、言語化して表しているように感じた。無理のない、ありのままの、シンプルな関係。ただ、それだけ。でも、それが強烈に自分にメッセージとして訴えかけてくる。

当たり前そうなことかもしれないけれど、本当に大事なんだな。自分には。いつも、それを求めてきたし、それが「それだけで、いいんだ」と。

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10年くらいまでは、いつも親が先に歩いて、私たちが後ろにいた。ここ数年は、私たちが先に歩いて、親が後ろからついてくる。

そんな関係と役割の自然な変化を感じるだけでも、何だか涙が出そうになる。でも幸せな気持ちにもなる。

見えない役割の変化は時間の流れの中で、絶えず変化していくものかもしれないが、私たちの「家族」としての自然な1つとしての在り方は、変わらずそこにある。

あー、家族っていいなぁ。

離れているけど、いつもいつも大好きな私の家族。

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