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ぎゅっとつかまれる

ブログを読んでいて、自分の想いが重なることを書いている方がいる。そう思ったら、とても心が震える。

「想いが表れる」それはどんな形でもいいのだけれど(文章、音楽、映像、表情、匂い、温度、空気、見えないもの・・・)、それがこちら側に伝わったときの心がぎゅっとなる感じ。一瞬苦しい、それだけ自分に近づいてくる感覚があるから。でも温かいものが流れこんでくる。また一つ、人の美しさを感じ、自分はそこから勇気と強さをもらうのだろう。

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月曜散歩

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たぶん今は発信⇔受信モードが強い時期の様子。とりあえず周囲にアンテナを広げて、歩くのが気持ちいい!今日はお天気もいいし、空もきれいで、ほんと何もかもが色々なことを発信してくれている。

ふと見た雑草も、シドニー時代にうちの庭sで、父親とひたすら草むしりをした映像までよみがえる。

今日、大学の近くの土手で撮った、桜の木と空の写真。去年の3月末に、親友2人とほぼ同じ角度で桜と空を見上げた。大学時代は一緒にタイ~マレーシア~シンガポールに貧乏旅行に行った大事な友人達。タイの電車の中では誰もいないことをいいことに、一緒に荷物かごの上に乗ってみたり(頭上にある網の上)、線路の真ん中で手を広げたり、寝てみたり。かなり危険な子供みたいなアホなことやって楽しんでいたね。私がボストンに留学すれば来てくれたし、1人がペンシルバニアに留学すれば、遊びに行ったし、京都も栃木も一緒に色々行きました。

そして、1人はこの5月からペルーに駐在。もう1人はベースを京都に移して数年が経つ。去年に3人で来られて良かった。1年前を振り返って、心が温かくなる。じんわり・・・温かいお湯が流れていくような、そんな感じ。

桜の木には蕾がたくさんあった。たぶん後2週間で咲くんだろうな、いつもの美しい四ツ谷の桜!いつものように、やわらかい桜の花を咲かせて、みんなの心を包んでほしいな。

大学では久しぶりに1号館に入ってみた。中が新しくなっていて、外側の景観と中の新しさがアンバランス。でもそれがいいのかもしれない。外側は変わらない。私がいたころ、そしてうちの大学が出来たころのレンガづくりの一号館。その外観はそのままに、中は「今」の人たちが過ごしやすい、使いやすい、維持しやすい形になっている。それも一つの形なんだろう。卒業して8年経っても、中の複雑な通路(1号館を通っていると自動的に8号館になって、しかも3と4と9号館もくっついている意味不明な作りだが)も、分かる。

2005年に書いた記事「Sydney-2」の時も感じたけど、

http://tomosophia.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/sydney-2.html

『不思議なもので、現地のにおい、港に吹く風を感じると、15年ぶりのはずがずっとこの街に住んできたような感覚がよみがえってきました。不思議なもので、現地のにおい、港に吹く風を感じると、15年ぶりのはずがずっとこの街に住んできたような感覚がよみがえってくる』

こういう感じににている。目をつぶっても、歩けるかもしれない。そう思って何も考えずに進んだ。そして中庭から9ピロへ。変わらない感覚、私はこの場所にいたんだ。

090316_143445 大学に行く前に、四ツ谷に来ると大抵行ってしまう、オータニの日本庭園をお散歩した。都会の中で、なんとなくボーっと日本を感じられる場所。浜離宮も好きなのだけど、ここも好き。京都とか、もっと優れたお庭は色々あるだろうけど、やっぱり四ツ谷という場所が自分には大事な想いが詰まったところであり、そこにある日本庭園は人工的な香りがしていたとしても、自分には心地よい空間。

今日も鯉はぱくぱくしてるし、庭にかかった橋の朱色は相変わらずはげていた。なんかいいね、こういうの。

私も一緒にぱくぱく。

そんな素敵な1日でした。

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演奏会=舞台!

土曜に大阪で、仕事の後「大阪市民管弦楽団」のコンサートに行った。親しくしているお客さんMさんがそこで演奏されており、かつMさんにとって今回は駐在前の最後の講演会になるということで、私たちを招待してくださった。

研修終了後、コンサートホールに行くと、なんだか懐かしい感じがした。市民向けのコンサートホール。栃木県の中高で何回か訪れた文化会館の広さに似ていた。高校時代、隣のU高という男子校と合同でクリスマスの時期に第九を歌ったな~、なんて淡い昔の思い出がよみがえる。まぁ、女子高としては、男子校とのイベントなんて、意味もなく盛り上がるわけで(女子だけの中で)。

指揮者 新通英洋氏。指揮者は著名な人くらいしか分からないほど、クラシック音痴な私だけれど、とにかくこの人のパッションが素晴らしかった。もう曲とともに、躍る、波打つ、跳ぶ、屈む。楽団の音色の波の上で泳ぐかのごとく激しかった。情熱的だった。演奏者達も、指揮者と一体になって、楽しそうだった。新通さんが、この楽団と、私たち観客とともに、この曲を完成させようとしているのが伝わってきた。とにかく、指揮に、音色に魂がこもっていた。舞台を作り上げる感覚!ある種のユーフォリックな空気が流れていた。曲目は:
『交響管弦楽の為の音楽/芥川也寸志』1950年

『交響譚詩/伊福部昭』1943年(これだけ、YouTubeで発見!)
http://www.youtube.com/watch?v=nlDXRxARh9I

『交響曲第5番ニ短調/ショスタコーヴィチ』1937年

でどれも全く味わいが違うけれど、どこか一貫性あるテーマが流れた“影”の部分を持つピースだった。芥川也寸志氏は、芥川龍之介の3男。氏が幼少の頃に芥川龍之介は自殺している。伊福氏の『交響譚詩』は、戦時中に科学研究の放射線障害で亡くなったお兄様に捧げる曲。『交響曲第5番』はソビエト連邦の共産主義革命後の社会の鼓動を感じさせるもの。(Wikiを調べていたら、伊福氏って、ゴジラの曲作った人じゃないですかー!)

音楽、写真、絵、映像・・・それぞれに、言葉にする形でなく、人間の狂気に対して、強く大きなメッセージをぶつけてくる。それゆえに、人は魂が揺さぶられる想いがする。でもその前提として、その作品を作り上げるアーティストが怒りや悲しみで溢れるほどの感受性と繊細さを持ち合わせ、恐ろしく精密な思考と勇気をもって、世の中の非情な行為に向き合おうとするからこそ、受け手の心が動くのだろう。

音楽はいいね!東京でもたまに聞きに行きたいなー。

家でも聞きたいし、いいスピーカー買おう。(でもその前に家を掃除しないと・・・)

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