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宮沢賢治

週末、栃木に帰りました。
たまたま友達とやった飲みに来た、友達の弟くんが国文科出身で、宮沢賢治を専攻していたことがきっかけで、この本を借りて読みだしました。宮沢賢治 妹トシの拓いた道 ⇒ 銀河鉄道の夜 を読みました。

久しぶりにショックと感動が入り混じって、こころが揺さぶられました。しばらく呆然としていました。胸がずっとずきずき苦しみました。久しぶりに精神世界について考えるようになりました。

恥ずかしながら銀河鉄道の夜が、これほどまでに宮沢賢治の人生観・死生観を表した作品だったとは知らなかったのです。銀河鉄道の夜は、読んだことがあったと思っていたのですが、読んだと言えないほど覚えていませんでした。

妹トシが、苦しみの体験から結論づけてつらぬこうとした美学、道、倫理観があり、それを賢治がつごうとする際の苦悩のプロセスを作品に感じずにはいられませんでした。
人間であるがゆえに持たざるをえないあらゆる感情(妬み、嫉妬、誹謗、中傷すべての黒いもの)に直面し、苦しみ、でも人間をあきらめずにいる強さと愛があるように思います。
とても温かくて、美しくて、せつない描写がされている。彼の、妹トシの求め続けた4次空間(賢治の理想空間。現世は3次空間と呼んでいます)を思い、自分について考えさせられます。
過去現在未来という軸と、また別にあるのかもしれない精神的な世界。宗教でもなく、神でもない。倫理とも違う。

その後で読んだ『永訣の朝』という詩はこころに迫るものがあります。 病に伏したトシを今まさに失おうとしている賢治、そしてそれを包み込むトシ。その中に賢治とトシの共有するであろう精神軸がある。
その空間で、二人はどれだけ幸せで、どれだけ悲しくて、どれだけ一体感を感じていることか・・・計り知れません。
高校の教科書でこの詩に一度触れたことがあり、心に残った詩で覚えていてはいたのですが、全く解釈が異なり、意味合いも深みも今回は以前よりずっと感じられました。

今回感じたことで大きかったのは、童話というのは、大人から生まれているものなのだなぁ・・・ということです。
大人が、決して教訓として子供に教えるために書いているのではない(もちろんそういうものもあるでしょうが)のですね。
大人になるとどうしても「こうあるべき」「こうありたい」という思いから、「自分の中で」隠して閉じ込めて押し込めて整理しようとする気持ちがあると思います。
その気持ちを、一見すると子供の目線から、感情がオモテに出やすい子供の口からそれを表していて、単純そうに見えても大人になってからでは言いにくくなってしまった、または成長とともに麻痺させようとしてしまった心理を突いているのだな、と。作者の、読者へのメッセージ性が強い場合もあるでしょうし、作者の、自らの理想との乖離に苦しんだ結果なのかもしれないし、でもそれは童話という作品の中では決して押し付けてこない。
「こう考えなさい」とか、「こうすべきです」とかではなく、深層心理の部分に問いかけてくる・・・童話だけではないかもしれませんが、今童話の存在をもう一度考えるきっかけになったので、ここでは「童話」にフォーカスしています。

最後に、宮沢賢治の有名な「雨にもマケズ・・・」を振り返りました。
『雨にも負けず 風にも負けず. 雪にも負けず・・・
そういうものに 私はなりたい』
この最後の賢治の言葉にどれほどの重みがあったのか、そうなりきれていないというジレンマの中で賢治がどれだけ闘ったのかを感じずにはいられませんでした。

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