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◆イグナチオ教会で ミサを与りました

縁があって、カトリックの方にプロセスを教えていただきながら、初めて最初から最後まで日本でミサを与りました。
(大学時代に、留学先&スペイン、ドイツでミサに出席しましたが、そのときはほとんど何が起こってるかわからず、ただ周囲と同じように真似しているだけでした)
結論のない話ですが、以下が感じたことです。
キリスト教の何がこれほど多くの人の心を満たすのか、ミサ中に考えていました。
それは、自分自身もミサを受けている間、少しずつ心が満たされて落ち着いていく感覚をおぼえたからです。
その気持ちになったのはキリスト教だからなのか、それとも幼い頃の記憶(自分がカトリックの幼稚園に行っていた頃の感覚?)からなのか・・・
それとも、教会という場で、ある意味自分のアイデンティティーを忘れ、ただ素直に司教様のお言葉に耳を傾け心に伝わってくるのを考えていること自体が、異空間・非日常的なものだと感じたからなのか・・・
忙しい中でどこか疲弊した心に、非日常的なソレが心地よいのか・・・?
自分を無防備に曝け出せる対象(この場合は「神」になるのか)がいること、しかも言葉を使って相手に説明する必要もなく、ただただ心の膿を出そうとオープンにいることが心地よい感じもしました。
しばらく遠ざかっていましたが、またキリスト教の勉強をしようかと思っています。この今年は何回かイグナチオのミサに行って、現場の空気を一部感じてくるつもりです。

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