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■『楽毅』 名言集

■『楽毅』 選択 

名言集 PART 1!

【予備知識】

*趙/中山=両方とも国の名前。趙は中山の4倍以上の大きさの国土/兵を持つ。

武霊王:趙の王の名前。 楽毅:中山の宰相の子供。29歳。

□「誚める(せめる)とすれば、趙*の武霊王をはじめとして人臣の全てが中山*を軽蔑していたということであり、軽蔑の中には発見はないという認識が欠如していたことである。皮肉なことに、中山の君臣でさえ楽毅の資質の奥深さに気づいた者はいない。」  (趙と中山の戦いの際、趙が小国中山の戦略の罠にはまっていることに気づかず、兵を進めていた際の言葉)

物事を素直に捉える、これが学びにとって本当に重要である。軽蔑の中には当然気づきは生まれにくいだろうが、受身でいても生まれにくいし、かつ知ったような気になっていても発見はない。 素直な真っ白な心で物事を見ることが、気づき・発見を多くするだろう。

エピソード:今日すかいらーくで昼ごはんを独りで食べていたところ、近くの席に就職活動中らしき女の子と、その親戚の叔父さんらしき人が座った。(会話内容より推測) 勝手に話を聞いてはいけないのだが、おじさんの声が大きめだったので話の内容が聞こえてきた。おじさんは最初に社会人に関して語り始めた。「社会人とは責任と常に隣り合わせのものだ・・・」的なことを言っていたので、私は「あ~学生さんだと気がつきにくいことを教えているのだな~」と思いしばらく「ふんふん」と聞いていた。しかし次第におじさんの話が聞こえにくくなっていった。なぜ聞こにくくなったか分からなかったが、とりあえず気にせずに私は自分のご飯を食べはじめた。またしばらくすると、意識がおじさんの方にもどったので、ふと彼を見ると、彼は一生懸命彼女に何かを伝えようとしていた。また、彼女の意見を一生懸命聞こうとして、質問を投げかけているようであった。言葉は相変わらずほとんど聞こえないが、おそらく20も30も年の下の女の子に、正しい方向に進むためのヒントを教えてあげようとしているのだろう。彼の行動からそのメッセージが溢れていた。その彼の一生懸命な姿に私は感動した。すると不思議なことに、彼らの会話がまた聞こえはじめたのだ。やはり、彼は彼女に一生懸命質問をして考えを引き出してあげていた。また、彼女から出てくる意見を認め、関心を示し、また時には上手に指摘もしていた。それからは、どんどん面白い話が聞こえてきた。例えば、「プレゼンの質疑応答の時には、質問者の名前を読んであげること」「プレゼンの最後には、自分の言いたかったポイントをもう一度言ってまとめること」「面接で意見を言う際には、必ずなぜそう考えたかを言葉で説明すること」などなど・・・面白い話は次々と耳に飛び込んできた。 そのときに私はさっきまでの自分を振り返った。 自分は、最初に彼らを見たときに、彼らの会話を聞いた時に、どう思ったのだったか。 そう考えてみると、私は彼らに「社会人と学生」の構図を見てしまった。そこでどこかで「社会人=自分」つまり、「おじさんの話⇒社会人について⇒自分も既に知っていること」という図式を生んでしまっていたかもしれないと思った。そのために、始めの頃は学生さんに対して少々の優越感を感じながら話を聞いていたのかもしれないと思った。だから、無意識レベルで自動的にアンテナが低くなってしまい、おじさんの話が聞こえなくなってしまったのだろう。しかし、再度おじさんの姿を見たときに、その一生懸命な姿勢を見て『これは何か違うかもしれない』と思い、感動を覚えた。それが私を真っ白な気持ちに戻らせ、アンテナがまた↑にあがっていたのだ。 今日まさに、自分のおごりによって「気づきアンテナ」がさがるという経験をした。これが仕事上、または勝負の時に起こったら・・・と思うと、怖くなり、身が引き締まる思いがした。 常におごらず、周りからは学べることがたくさんあると思って行動し、実際に学び取ること。そうですよね・・・・本当に世界って、周囲にあるものって、素晴らしいものですよね!自分が知らないことは限りなくたくさんあり、学べることも同じようにエンドレスにありますね!!

□(戦いの前に、武器庫に行って武器を丁寧に見て、楽毅は言った。) 『目くばりをするということは、実際にそこに目を遏め(とどめ)なければならぬ。目には呪力がある。防御の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人には不思議な力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている』」

□「よくよく考えてみれば、この世で、自分で自分が分かっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、分からせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希って(ねがって)いるのかもしれない。」

□「国家の中枢にいる者は、国民とおなじ感情に染まっていては、展望ということができないということをあらためてさとった。」(国民とおなじ感情=国民は、今国内での戦火が鎮まり、趙軍が去り、ほっと胸をなでおろしているところ)

□「武将というものは、感情を殺すべきときに殺し、ふるまうべきときにふるまう(=礼を尽くす)ことのできる者をいう。」

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■『日本語練習帳』 第1章

1)『言葉遣いが適切かどうかの判断は、結局それまでに出会った文例の記憶による

∵人間は人の文章を読んで、文脈ごと言葉を覚えます

『多くの文例の記憶ある人は「こんな言い方はしない」という判断ができます。』

筆者は当たり前のように、「人間は人の文章を読んで、文脈ごと言葉を覚えます。」というが、私にとってこの行動は必ずしも自動的に起こるものではないように思う。私は言葉を覚える際に、文ごと覚えることはあったとしても、「文脈=コンテキスト」ごと言葉を覚えていたかというと疑問が残る。この下線部の文章こそが、明らかに自分に欠如している部分であろう いい文章がかける人たちは、おそらく本/情報を読むたびに毎回意識的/無意識的にこれを行っているからこそ、ものを書くときに、より正しい言い方で物ごとを表現できるのだろう。

私はこの点に関する意識が低かった上に、「出会った文例の記憶」自体も非常に少なかったため、過去に多くの言葉の使用ミス・選択ミスをしてきてしまった。今後よい文章に触れ、出会う文例を増やしていくことも必須であるが、私の場合はそれと同時に言葉の裏に流れる文脈も意識的に記憶することが大事だと思う 今ふと思ったのだが、この現象は私が文章を映像化することにフォーカスしすぎたために起こっているのかもしれない。これは悪いことではないが、言葉の感覚を磨いていく目的がある場合は、遠回りしてしまう気もする。一度文章を読んで自動的に映像化した後に、もう一度そこで使用されていた言葉を意識的に見ることが必要かもしれない。図式的には、「文字⇒映像化⇒文字」のような感じだろうか。

2)『(物事を言い表すときに)不的確な表現になった原因は単語にはなく、事実を見る目が曇っているのです。』はっきりと(正しく)表現するのは、単に言葉に敏感になるだけでなく、事実そのものをよく見る目と心とがいることです。はっきりと見て、きちっと表現する心構えがなくては、言葉を的確に運用できないのですね

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